4 日本宣教百年記念
昭和三十四年(一九五九)教会総会に於て本年は日本宣教百年記念の年であり童た教会創立六〇周年、附属事業塾愛保育園創設十周年に相当するので十月中に記念式を挙行することを決議した。一月には相馬地区信徒大会が中村教会で行なわれ東北学院長小田忠夫氏の講演があったので当教会からも十五名が出席し、八○余名の集会があった。本年も童た世界祈祷日を各派連合で原町教会を会場に実施し八○名の出席者がありまたレント期間中は教職信徒のチームによる交換伝道を各教会で行なった。
二月十二日には千葉大二牧師による賛美歌講習会、三月二・十二日には東京銀座教会の信徒伝道隊の来援、また教団から円羽総務局長、臼井主事、教区から森田副議長、千葉書記等台風22号の慰問に来訪、四月四日には青年会主催による第二回平山伝道を実施し各集会共に盛会であったが殊に四月五日の早朝集会には二十五名が出席して熱気を帯びた集会であった。会員折原忠は献身して東京神学大学に入学し当教会三人目の神学校進学である。
夏期の行事は本年も新地海岸で二泊三日の太平洋聖書学校を各教会合同で実施した他、七月二十四日がら二十六日まで二拍三日渋佐海岸の民家を借り受けて青年会主催の夏期修養会を聞き三十七名が参加した。
九月十四、五の両日は浜通り基督教伝道者協議会を湯本の浅貝保養所で行ない、各派の宣教師、牧師三〇名が出席し交りを深め協力を約した。
その他九月には婦人矯風会長竹上正子女史の講演があり、十二月には野々宮初枝文化部長の講演があって、矯風会原町支部の結成を見たが数年にして有名無実となった。
十一月三日日本基督教宣教百年記念式典が東京青山学院大学を会場に行なわれ成瀬牧師と野崎長老が出席した。
更に本年は教会創立六〇周年、附属事業開設十周年に当るので教会総会の議決に基いて十月二十五日記念礼拝及記念式を行ない、偶々来日した米国サン・デーゴ教会の菊池賢治牧師に記念説教を依頼し意義ある会合を持った。
またこの期に聖愛保育園の要覧を作成して関係者に配布し十一月二十九日遠藤修司氏を招いて記念特別伝道を開催して六〇余名の出席があった。
この年のクリスマス礼拝にはかねて計画中の礼拝用オルガン購入特別献金が充たされたのでオルガンを購入して献納式を行ない、また五名の兄弟姉妹が受洗した。
教区から会堂小修理費五万円の援助を得て、会堂内部の補修を敢行したのもこの年で誠に多忙な一年であった。
・ 昭和三十五年(一九六〇)の活動
翌昭和三十五年は一月十五日の成人式に教会員中成人を迎えた六名の若い兄弟姉妹達の祝福式をもって初った。二月にはかねて計画中の鹿島教会の上棟式が行なわれ基金募集の一環として鹿島教会と共同でハロルド・コーン氏のピアノ演奏会を相馬農高講堂で開催して約七百名の聴衆があり、その収益は全額演奏者が献金されたので鹿島教会と折半し、会堂建築資金として積立ることにした。三月二十六日は教会清掃作業のため一日ワークキャンプを実施し十数名の青年男女が参加して会堂内外の清掃、保育園の遊具の塗装等を実施した。
四月十九日はイースター特別伝道を実施し武藤富男氏を講師として「映画と講演」の夕べを催し、武藤講師の「愛の論理」の講演のあと映画「ヘレンケラー」を上映し、百余名の会衆が深い感銘を受けた。六月には青年会主催の許に東北学院大学グリークラブを招いて演奏会を催し、七〇〇名余が集り、その日の収益の一郡を教会に献金され金額は会堂建築資金に繰り入れた。
尚この演奏会は数年継続して実施されたが、すべて青年会の労苦によるものであった。夏期には東北学院文化講座の名目で、蒲庭温泉において夏期修養会を実施し、三十余名出席八月十五日には講談師田辺南鶴師の講談伝道を開催して「賀川豊彦伝」その他を上演、四〇名余の会衆があった。
地区の動きとしては四月十七日鹿島栄光教会の会堂建築落成して献堂式が行なわれ、小高伝道所には佐藤仁牧師が着任し、シュレーヤー宣教師夫妻は休暇によってヨーロッパ経由帰国の途についた。
また相双地区各教会に幼稚園、保育園が附設されたので相双地区保育者の会が結成されて、各月会合を開き研修と慰労を行なうことになった。その加盟団体は小高教会幼稚園原町聖愛保育園、鹿島みくに幼稚園、中村まきば幼稚園の四園であった。
このように相双地区内の教会は担任牧師が与えられていよいよ地域伝道の意慾が熾烈になって来たが一方教会学校等は生徒が激減して何等かの形で少年少女のための宗教教育を考える必要に迫られることになった。
原町教会では無牧時代、戦争時代教会の管理に当った阿部喜一長老が九月十六日永眠したことは教会にとって大きな痛手であった。