原町キリスト教会
30年から50年まで
4 昭和三十年(一九五五)の活動
昭和三十年の四月の総会は役員改選の結果折笠晴二郎、遠藤しげ、阿部喜一、朝倉巌、松本京子が選ばれ、本年主として教会々計の整備と求道者確得(獲得?)のため特別集会を開催することを決議し、折笠長老を会計役員として献金増額の方途を講じた。
六月には千葉大二牧師を招いて讃美歌講習会を開催して二十五名が出席し、同月青年会主催によって平山照次牧師(東京山手教会)の特別伝道を開催して延八○名の出席があった。七月にはラクーア伝道関係の米人牧師キャンプ一行による映画伝道を行ない多数の来会者があった。そしてこの年のクリスマスには男二名、女二名、計四名の受洗者が与えられた。然し、小、中学生の課外学習や各種の習いことやテレビの普及等のため教会学校生徒が減少の傾向を示し今後一層そのことが加わることが憂慮された。
第九章
1 協力宣教師の在住
従来相馬地方は中村、原町に牧師が在住しただけであったが、ラクーア伝道開始により鹿島町に伝道所を設立して江原淳牧師が着任し、更に小高伝道所には山内春雄牧師が赴任して牧師会が組織された、加えて昭和三十一年十月にはシュレーヤー宣教師夫妻が原町に駐在して相馬地方の伝道に協力することに成り、地域全体に目を注いで伝道圏を拡大する時期がやって来た。その試みとして相馬地方教会合同による夏期修養会を実施することになり七月三〇日から八月一日まで二泊三日の相馬地区臨海聖書学校を開設することになり実施した。
校 長 成瀬高牧師
事務局 江原淳牧師
チャプレン 山内春雄牧師
会場 新地磯浜ときわ旅館
参加教会は中村教会、鹿島伝道所、原町教会、小高伝道所で参加者五十五名であった。この夏期修養会は毎年継続して開催された。シュレーヤー宣教師は自宅を開放して英語バイブルクラスを増設して、主として学生が参加した。また同師の在住に伴って米国教会からの来訪者も多く十月十日には米国リフォームド教会信徒団の来訪があり、教会員との交歓を行ない、三月八日には相馬地区各派教会連合の世界祈祷日集会を中村福音教会で開催して八○名余の出席があって、地区全体の協力伝道の機運の高まりを見るようになった。
原町教会内でも六月十七日に教会関係者の永眠者記念礼拝を行ない、今後毎年の行事として実施することとした。この年八月三日には古い教会員(下町教会所属)渡辺滝蔵の永眠があり、長老役員朝倉巌医師一家の東京移転がありまた若い会員、求道者の中央転出もあって、教勢は低下気味であった。
朝倉医師は石原医院の向かい側に在住。
・地区内教会の協力の機運高まる。
牧師会の組織、協力宣教師の活動によって地区内教会の協力関係が活発になり昭和三十二年(一九五七)四月二十一日復活節には相馬地区教会の合同礼拝を当教会で実施し男一八、女三九、計五七名の出席者があった。
四月二十九日、三十日両日金田数男牧師の特別集会を開催し、五月には映画伝道「わが谷は縁なりき」を上映して百余名の会衆があり、五月三十日には杉山元治郎代議士の伝道講演、六月九日のペンテコステ礼拝にはユダヤ人牧師ビックライズン氏の説教がありその他教団派遺の西堂昇牧師ロワス宣教師の来援があって主として高校生のために集会を聞いた。
本年も新地海岸に於て第二回太平洋聖書学校を二泊三日実施し出席者延八五名あり、また教会内の一日修養会を馬場不動滝で開催して三十五名参加した。この年の特記事項としては中村教会の藤本牧師の辞任により成瀬、江原両牧師が兼務し、かねて計画中の会堂改築を実施し九月八日その献堂式を行なった。また教会の月報、「翼の蔭」を発行して文書伝道の一環とする他、シュレーヤー夫人は会員折笠勇との共訳でバーナー著「信ずる」を出版し青年の信仰指導書として好評を博した。この年は特別伝道七回を数え平均四〇名の出席者があり、クリスマス礼拝には男二、女三、計五名の受洗者があった。
・ 昭和三十三、四年(一九五八・九)の教会
昭和三十三年(一九五八)一月十八日当教会創設当時から恩義のあった木村清松牧師が永眠されたので二月二日追悼礼拝を行ない、受難週の記念伝道として地域内牧師信徒のチームによる交換特別集会を開催し、二月二十二日の世界祈祷日は各派教会連合で中村教会を会場に祈祷会を行ない五〇名の出席者があった。
四月には小高伝道所の山内春雄牧師が辞任したので後任決定までシュレーヤー宣教師が責任を持つことになった。
また無牧であった中村教会には古山金作牧師が着任し、四月の地区牧師宣教師の会合で教会互助活動の必要性が話し合われ協議の結果、一日一円献金運動を起して教会互助回転資金を作定し各教会の求めに応じ貸付を実施することに定め直ちに実行にうつし、主としてシュレーヤー師がその衝に当ることとした。これはその後順調に続けられて今日に至っている。
夏期は恒例により太平洋聖書学校を実施した他八月八日から一〇日まで二泊三日馬場不動滝を会場に青年会主催のキャンプを行ない、三〇名が合宿生活をした。この年十月台風22号によって当地方一帯水害に見舞われ、原町も甚大な被害を受けたので各教会から援助物資が送られ又日本国際キリスト教奉仕団からは脱脂粉乳(一三五P)
小麦粉(五〇〇p)が送られて来たので教会婦人会の手で被害者に配分した。この年のクリスマスにはシュレーヤー宣教師の誕生記念として講壇用聖書が寄贈され長く講壇の御用に当ることになり、教会総会は礼拝用・オルガン購入を決意して、そのための特別献金を決議した。