はらまちキリスト教100年 戦後編
岡田汐子女史の原町伝道
岡田汐子女史は、1917年 大正6年3月生まれ。父は熱心な仏教信仰者だった。母も目白の日本女子大学の禅道場で知り合って結婚し,禅の普及のため夫とともにアメリカに渡って伝道した。アメリカで生まれた兄が学齢に達した母だけが兄姉を連れて帰国。おなかにいた子が太平洋を渡ってきたので次女は「汐子」と命名された。帰国後のむなしさから母は友人に誘われて教会に通い始め、母の信仰を在米の父は喜び子供を日曜学校に勧めた。汐子は母に連れられて牛込ホーリネス教会に通い、全国的リバイバルの時に霊的に覚醒した。
昭和16年3月にホーリネス教会の岡田静夫氏と結婚。
翌年四月に新潟県長岡教会へ赴任したが、6月にホーリネス教会が不敬罪を理由に解散を命じられ、伝道できなくなった。集会もできず生活もできず、東京や福島の親戚の家に身を寄せ、昭和20年3月に仙台の中嶋代作氏を頼って移住、7月に仙台空襲に遭った。
二高の寮に逃げ込んだ。
罹災者の標識をもらって、岡田静夫牧師の郷里福島県に向かい、そこで終戦を迎えた。
主よ、お従いします 岡田汐子 「百万人の福音」1979年9月号より
これからどう生きてゆくか。主人は1946年 昭和21年 いち早く活路を求めて東京に出ました。私は留守を守るわけです。私もどうしたら伝道できれるのか、どこで始めてよいのかさっぱり見当がつきません。でも伝道をしようという心は燃えます。
主人が東京に行く前に、平市に日本基督教伝道団の牧師がいらして、そこへ伝道の道が開かれるかと思ってお訪ねしたことがありました。それで私たちのことを心にとめてくださったようで、原町市で伝道会をやるからいらっしゃいませんかと案内をいただきました。主人はいませんので私が行きました。私が伝道者だというので、そこの信者たちは、子供の集会をしてくれと言います。そしたら大人の礼拝もということで、私は喜びと感謝をもって説教をしました。復活の主がトマスに「信じない者にならないで信じる者になれ」と言われたところを語りました。
それが原町伝道の始まりでした。終戦後のこととて、何の娯楽もない時代だったからでしょうか。大して宣伝もしないのにたくさんの人が集まって来ました。そんなわけで、主人も郷里伝道に使命を感じて帰って来て、いっしょに伝道をしました。ここには十年ほどおりました。
〔解題)
戦後の昭和20年(1945)から24年(1949)にかけてGHQ(占領軍最高司令部)は占領下の日本で出版された印刷物の検閲を行った。GHQはあらゆる新聞、文芸同人雑誌、組合機関紙などを集め、反占領政策、反アメリカ、反民主主義的言辞に神経をとがらせた。これらの蒐集文書はメリーランド大学に一括して移され、のちに大学図書館によって保存整理された。GHQ戦史室に勤務していたゴードン・W・プランゲ博士は大学への移管に尽力し、このコレクションは彼の名を冠されてプランゲ文庫と呼ばれる。終戦直後の占領下の日本の文化状況が分かる貴重な史料であるため、以前から日本の歴史学者たちにとっても注目されてきたが、このほどメリーランド大学と国立国会図書館の共同作業でマイクロフィルムとマイクロフィッシュに撮影され、手軽にアクセスできるようになった。これら厖大なコレクションの中には福島県下のものも含まれ、原町の地元で出版された印刷物もあり、原町リバイバル聖書教会の機関紙H.H.G.(Harmonious Harmonious Groupe)という謄写印刷の文集も収められている。
これはホーリネス教団の岡田静夫牧師と汐子夫人が主宰発行した定期刊行物(月刊)である。第一号から25号まである。
第一号表紙にはmailed in june.1 copy only.(6月に郵送された。1部のみ)の書き込みが記入されている。またC.C.D.の刻印が捺印してある。これは検閲機関の受付印であろう。
バックナンバーを辿ってみると、次のような人々が執筆の常連だった。
青田悦子、岡田汐子、岡田静夫、小野田和子、折笠勇、折笠晴四郎、折笠宣彦、折笠幸雄、鹿又泰、三瓶政一朗、杉山金一、鈴木トキ子、鈴木知子、高篠信子、武山昭雄、野崎静雄、平野栄之進、松本京子、渡辺雄幸
鈴木トキ子さんは、北原聖療園というサナトリウムの療養者らしい。
のちにはバプテスト教会フランク・ホレチェック宣教師の寄稿も載せられている。
ホーリネス教団は昭和16年に大同団結された日本基督教団からの独立を昭和23年に、宣言した。国家統制のための合同は、体制側からの組織管理統制としては便利であったが、日本の戦争犯罪に対する宗教団体自身の反省を著しく鈍くした。戦時中、天皇の神性を否定するラジカルさを保持していたためホーリネス派の信仰は人間の罪の問題を特に重視する一派であり、スケープゴートとして狙い撃ちされ最も苛烈な弾圧を受けて最も多く獄死者を出した。天皇制を受け入れて延命した日本基督教団一般に対する違和感が独立させた。教団内部にとどまったホーリネス教会もあって分裂した。
天皇制に対する態度は「踏み絵」であった。
しかし、原町教会の本質は、そのようなラジカルさではなく、主宰者の岡田汐子夫人の魅力に負うところが大きく、高校生のクラブ活動のごとき文芸部の体の印象が強い。娯楽の少ない当時、ガリ版印刷の文芸誌でもあった教会機関紙H.H.G.は、大きな魅力だった。
昭和22年4月 HHG 雑誌創刊 HHG 創刊号 1947年4月号より
HHG誌の創刊を祝して 愛堂先生
万物更甦の春四月を期して溌剌たる青年諸子の手により創刊さるに至ったことは現在の世相に対して誠に有意義であり、前途に期待を持って、祝福せざるを得ない次第である。
遣はされし者 中村月城
現在の日本は暗黒時代を現出してゐるが、この暗闇の彼方に新日本の黎明がある。無血革命が今進行して異る。新日本、文化の香も高き動議日本創建のため起つべき青年よ何処に居る
「誰か在る われ誰を遣はさん 神は叫んであられる」
随想 岡田静夫
愛する郷土を中心にHHGの誕生は嬉しい。おぼろげながらさうしたものをほしいと願ってゐたこととて、二重に祝福してゐる一人だ。
初めての方々は「HHGって誰が主宰し、どんな組織を持ち、いかなる内容と意義を有してゐるのか」との質問は当然であらうが、実は私は別にその生みの親でもないので、その説明は、機関誌HHG日曜会、金曜会、又は近く持たれようとしてゐるHHG大会にゆづり、ここでは私が折にふれてHHGから見たところ、感じたこころを拙文にのせてお伝えする事にしよう。
HHGを詳しく書けばHolly Harmonious Groupeホーリー・ハーモニアス・グループ(聖く・美しく調和した・睦しい群)となるであらうが、やはりHHGと呼ぶ方が簡単だし、何となくなつこく、そして親しみ易いようだ。会員中には「キンチャン」「ショウチャン」などがゐるようだが、本名は金作さんか、昭蔵さんか知らないが「キンチャン」「ショウチャン」と呼び合ふところに、HHGの性格がうかがはれるようで面白い。
折笠幸雄 私は教会の門をくぐる今の今まで、神といふ観念に疑念を抱き惑い悩んで居りました。愚なる者では御ざゐますが、その愚なる私が心の奥底から神様と叫び貴方におすがりいたします事を何卒おゆるし下さい。今宵この聖なる会堂にお集ひになられた信者の方、又熱心なる求道者の皆様方の敬虔なる祈りの言葉やお話を聞き神といふものがおぼろげながらにも漸く分って来たような気が致します。求道に精進し、信仰に厚き周囲の人達から、すすめられ、嫌々ながら教会に来た私が、おぼろげにも神を知ったといふよろこび・幸福・何物にも代へがたきこの感激・・・・
神様有がたうござゐます。私のために教会をすすめてくれましたこれらの人々に衷心より感謝致します。
うたがひつ 迷ひ乍らも教会に
今宵 来たりて良かりしと思ふ
神様! ああ! 何と良い気持ちでせう。私が斯くも清々しく身も心も浄められたやうに心の中に「安らけさ」を感じますのは今宵が初めてで御ざ 居ます。これからは聖書も読ませていただきますし、御祈りもさせていだだきます。
神さま、すべてが感謝でござゐます。何卒この私をお見捨て下さいますな。私がかうして居る間にも私の上に深き愛といつくしみとを垂れさせ給はんことを。何時も貴方の御心に副ひ奉る事が出来ますよう切に切にお祈り申し上げます。何卒ぞ、神様よ! 先生や兄弟姉妹の中にあって愚なる私をおみちびき下さい
清々しき 気持ちに なりて 帰途につく
みそらに 今夜こよひ 星のうつくし
かつてなき 今日のよろこび うれしかり
心に長く とどめ おかまし
三月二十三日 よろこびと感謝と感激をもって神の御前に捧げます。アーメン。
人生の意義 渡辺雄幸 28p
「人生は何にかしに生まれたものだ。それなら何をしたらよいか」と考へる時があるが、「それは自己を正しく生かすように努力し、となり人の為につくすことである」との結論を得る。しかしよく考へると、人間はまだ正しく生きる事が出来ない境遇にゐる。それを段々よくして人間全体が人間らしく生きられる様に骨折ることを神は我らに命じて居られる。
我ら個人の力は小さい。しかし小さいなりに何かの形で我らは人類の生長を助けなければならない。私は近頃漸く聖書の眞の意味は神を通じて人々の為に生きると云ふことであること、キリストの教へは・・・・即ち霊魂の為に生きると云ふことは、自分の為に生きる事よりずっと高い事であると確信し得るに至った。
人生の意義は聖書に求められ、そしてわが生涯も神と人とのためでありたい。
原町教会青年会記録ノートより
第二回例会 記録帳より
合唱 224「むかし主イエス」HHGが誇る聖歌隊の合唱なのですがテノールが合わないのでやり直しをさせられた。
最初に小野田和子さん=一番先にやるのなんかいやだわなんて言っちゃいけませんよと思っていると敢然と立って用意の原稿をスラスラ「艱難をもよろこべ」
赤いジャケツの鈴木知子さん 「尊い説教」という本を読んで思いましたのでもう一度よみます。では「ヨハネ第一書」を読んで、バトンを次に渡します」と鮮やかにバトンを次に渡されました。
高篠信子さん ピリピ書4章をよみ静かな調子で聖歌224「主のやすき」
有馬美佐子さん
安川令子さん お母さんがいるのではづかしさうです。証のあとに「教会から夜遅く帰った時、人から色々と噂されたり、言はれるのが私の只一つの悩です」と (これは女の人が誰でも持つ悩でありませう。私にもわかります。どうか、おめず、おくせず進んで下さい」)
牧さんと平井さん(妹さん)の唄に合わせて中沢さんと鈴木千恵子さんのダンス おどろいたが拍手喝さいでした。
ここで来賓の安川さんに一つお願ひいたしました。
いと静かに立ち上がった安川さん、ややあって「お待たせ致しました」とアナウンサーみたいな事をいってから、さんびか525を独唱。
母は涙かわく間なく祈ると知らずや・・・・しばし静寂
5月9日(金曜日)
出席者27名 知ちゃん、小野田さん、有馬さん、静雄さん、金ちゃん、昭ちゃん、木幡さん、武山さん、松木千恵・美智さん 其の他 原女生・商業生 三瓶先生・汐子先生 27名
(1)賛美 神よみまへに・ナザレ人なる
この合唱の時は未だ新しい方が多かったので声も遠慮がちだったので、自分もつい声が出なくなってしまひましたが、こういふ場合には大いに心臓を強くする必要があります。
(2)祈祷 小野田さん・宣彦
(聖言葉)コリント前書(第一章18節~31節)
○・・・・・・・信ずる者を救ふを善しと為給へる(21節)
○・・・・・・・されど我らは十字架に釘けられ給ひしキリストを宣伝ふ。23節
救はれるか亡されるか何れを選ぶべきや?
(4)HHGの歌 合唱
(5)祈祷 岡田先生
(6)楽典講習
(7)祈祷 野崎さん
だまされたつもりで此処まで進んで来ましたが神様は絶対にだまされなかった。最早心配する必要はありません。安心して凡てを主にお任せ致しませう
. 日曜会への希望 真にHHGの向上を願ふならば遠慮なく語り合ひませう。
HHGキロク帖 HHG第二号より
HHGには記録帖があります。日曜会・金曜会の度に一人づつ当番になってその集会の様子をキロクするのです。その他自分の意見・感想・を書きこみ、詩でもカットでも皆のせられます。日曜日にはテーブルの上に出して置きますので、どうぞごらんになって下さい、
ここには五月主日の分を抜粋してみます。
5月11日
場所 木々の若芽の萌え出る中に赤いつつじや紫すみれのこぼれ咲く御本陣山の頂上にて。
集はれし人々 静夫先生、佐藤兄、平野兄、汐子先生、安川姉、物江姉、平野姉、佐藤姉、諸井姉、塚田姉、静雄さん、勇さん、金一さん、宣彦さん、武山さん、藤原さん、木幡さん、昭ちゃん、信子さん、知子さん、和子さん、れい子さん、トモ子さん、ミサ子さん。
女学生の平井さん、安川さん、佐藤さん、山部さん、岡田さん。 以上29名
晴天にめぐまれて若い私達は勿論、敬愛する御年上の方達もこの一時心より祈り語り、歌い、合って親しみを深めることが出切る様にと親睦会の名のもとに礼拝後御食事を共にし、そよ風にのる春の香を胸一ぱい吸いながら円陣を作りました、
賛美歌 131 エスの救ひ・・・・○この項をひらかれた佐藤兄に一同満足して歌いました。
お祈り 静雄さん、汐子先生・・・・○自己紹介をかねて御発言をと・・・・進行へ。
第一声(佐藤兄) 「救ひを体験して生きるクリスチャンとして生活即ち伝道でありたい。積極的には路傍伝道が必要である。時のたたぬうちに実現させようではないか。準備の為には祈りの時も相談の時も充分持ちたい。これは教会の使命として重大なことです。私が主宰者となりますから、さまよふ町民を救ひ、濁悪の世を照すべく努めようではありませんか」
先生お二人も「そうです。やりませう」と掛け声なさる。皆さん御意見をどうぞ。
◇ 一同この時こそと自分の番を待つニコニコ顔。何を話そうかと胸をドキドキさせる女学生!!
風がソット頬をなぜてすぎる。急いで頭の中を整理するらしい顔・顔・カオ、
汐子先生 「伝道のは先づ歌が大切です。三瓶先生の御指導いただくのもその為です。」
静夫先生 路傍伝道の形式を説明下さる。(使用物)提灯、アコーデオン、タンバリン、大小太鼓
楽器の説明等も伺ひ、誰がタンバリンを持つかしらと気をもむ人。
「街頭演説は政治家にのみまかせるな」と佐藤兄の意気込みに力が湧き出る。
御婦人方 歌位はお手伝ひしませう。サインしてあげることもいい事でせうね。
多忙の為に積極的に御奉仕出来ませんが私の日常生活をもって皆さんに示しませう」との御意見。
平野兄 信仰を大衆の前に明らかにすることによって責任を感じ信仰が成長し効果のあることを述べられ、火力もマキ数がふえることによって盛んになるのですから、私も是非マキの一本となって活躍しませうとの由。
◇ さて若い青年の御意見は?
静雄さん 「その提案は若人から出るべきであったと口おしがる。
昭ちゃん「皆と共にでしたらやります」と中学生らしい、かつての特攻隊員を思はせる様な態度にはたのもしい! と佐藤兄、先生方満足の御様子。
勇ちゃん、金ちゃん、ゾッとしました。と二人とも考え込む様子。(一同爆笑する)
「しかし伝道こそ自分の信仰をためす時です」「クリスチャン生活をたしかにしておく上に賛成です」! 一同ホットした様子。うぐいすの一声もまじって静かな一瞬!
宣彦さん 「僕は大賛成です」と体をのり出して幼き日に見た路傍伝道の様子等を終始にこにこと話す。(先ほどから待っていたらしい嬉しそうな話しぶりでした)
◇ 男女同権の今日、若い女性はいかが?
信子ちゃん(ゴクッとのどをならしたと思ふと)「伝へよ神を福音を」イエス様を伝へることは若い私共の使命であると信じます」いかがです! 此の意気込みは・・・・
知子ちゃん「星野先生の御話を伺って救はれた以上はこの喜びを多くの人にあたへたい」とつつましく語られる。私共の胸の中には忘れ得ぬ4月27日夜のめぐみの場の感激が再び湧き出る心地でした。
やや恥しそうな女学生 筋道の通った話ぶりに将来の代議士出馬も有望でせうね。
※ 友達にさそわれて来た方が多い様ですが、流行による信仰ではなく真の求でありたいと思ひます。信仰の集いこそ自の生活がめぐまれるのです。これほどの熱心さがあれば信仰の若芽も実をむすぶ時が来ると存じます。
佐藤兄 (藤原さんのキリスト教の他教と異なる点を知りたいと言ふ問に対して)
「他教をあなどることなく、体験によって人々に示す伝道でありたい、伝道にあたっては議論してはならない」
静夫先生 仏教との例をとって語られる。(風が少し強まってくる)
5月16日 金曜会 今夜は音楽基礎練習の第二回目です。
今夜の出席者 有間さん、小野田さん、知ちゃん、カズ子さん(知ちゃんのお友だち)、
平井さん、天野さん、松木さん(姉妹二人揃って)、高篠さん、武山さん、渡辺君、平沢君、
牛来君、太田君、昭四郎ちゃん、静夫(静雄)さん、
三瓶先生、金ちゃん、勇ちゃん、宣ちゃん、汐子先生、27名
○賛美 聖歌集から157エスを信じぜしより。 252聖国のべらす。
記録員をくれて来て申し訳けありません。教会の前で歌声を聞えて足を早めました。
○お祈り 汐子先生。有間さん「一日主と共に働き得ました事を感謝致します」 昭四郎
今晩は静夫先生が見えていられません。どうされたのでしょうか。
三瓶先生少し後れて来られる。
賛美 「ナザレ人なる」一同心から歌ひました。タンボでは私達の向ふを張って蛙の大合唱!
☆いよいよ音楽の練習が始められる。相変わらず先生をは皆んなを笑はせたり嬉しがれせたりしながら、ぐんぐん講義を進められる。
○小学唱歌「春の小川」。音階の練習等。先生クレヨンで音階をきれいに図解した大きな紙を壁に張って教へられる。(ミをドといったりして思はずヒヤリ)
○リズム練習 皆さん、なかなか感がよいです。
○三瓶先生。前回に約束されたスリモノ「虫の声・デンデン虫」を皆んなに・・・・
といひたい所ですが少し足りないので教会へお預け。
最後に先生からおほめの言葉「皆さん、声がだんだんよく出るやうになりました。」?
9時終り ○静夫(静雄)さん祈祷
私共は(特に自分)信仰に於ても、その他あらゆる事に於いてもっと忍耐を保ちたいと思ひます。
(ヘブル11:1)それ信仰は望む所を確信し、見ぬ物を真実とするなり。
!!今夜はオタマジャクシに体をなめまわされるかも知れません。(昭四郎記)
5月18日 日曜会
「それ十字架のことばは亡ぶる者には愚なれど 救はるる我らには神の力なり」
雨がしとしと降る梅雨型の天候です・・・・雨降りは嫌ですね・・・・多くの人々に取っては憂鬱であり、つまづきとなるらしい。
併し私達に取ってはかかる雨さへ恵みの雨と感ぜられ感謝の一日が送れると云ふことは誠に嬉しい。
「それ雨降りは亡ぶる者には不愉快なれど
救はるる我らには神の恵なり」
当地から約10キロも離れている八沢村から平田さんが来られ礼拝から日曜会と出席して下さった事は非常に幸ひなことでした。
出席者 岡田先生 汐子先生 勇ちゃん、宣ちゃん、金ちゃん
藤原さん 茂垣さん 静雄 平沢さん
信子ちゃん 和子さん 有馬さん 知ちゃん 平田さん
令子さん 平井さん
会の始まる迄、余り楽して聖歌を合唱したので時の経つのを忘れてしまひ定刻少し過ぎて慌てて日曜会開会
◇HHGの歌合唱 コリント前書13章1節から14章1節まで
8月30日 記録HHG例会
発表 ただ一つの願ひ
まほう使ひのおばあさんが「何でも一つだけ叶へてやる」と云ったら、貴方は何と答へますか」
司会者 岡田 汐子先生
出席者 男十三人 女二十八名 米田豊先生 岡田静夫先生
鈴木知子記
庭の面は まだ乾かぬに夕立の 空さりげなく澄める月かな
近頃にない月も裂けんばかりの雷鳴が屋根も打ち抜かれると思はれた篠突く豪雨もケロリとやんで空には洗ひ出されたやうな澄んだ月。教会の窓は明けはなたれ サッと流風が流れ込む
「いつくしきふかき友なるエスは」
若き兄弟姉は次々幾何学的に並べられた座席に吸い込まれて賛美に和す四部合唱がきれいにそろひ祈りの内に待ち望んだHHG例会をはじめる
1 聖書朗読 エペソ書第五章
(おいのり 野崎静雄 鈴木知子 静夫先生)
2 聖歌233 歌ひつつ歩まん
賛美歌34 しづけき夕べ
3 HHG会計報告 野崎静雄さん
4 自己紹介
ユーモアな金ちゃんや宣彦ちゃんの自己紹介と女学生の妹達爆笑。
「もう若い皆さんから見ると私はすっかり苔が生えてしまいました」と信者の平野さんの を最後にいよいよ本筋に進む
5 高篠信子(しんこ)さんの落ち着いたご挨拶に一同シンとして期待に胸を膨ませる
×信子ちゃんへ告ぐ
シンゾウが弱いなんてウソですね。
堂々たるものぢゃないですか。キロク者挨拶を以って席に戻る信子ちゃんに方目をつむってチョットニラム
6「私の唯一つのねがひ」についての発表
前奏曲として「HHG歌」が元気に歌はれる
A 折笠 勇さん
健康、智識、金銭、名声、否否、唯、私の内に聖霊を満たして下さい。そして凡ての人に、愛とよろこびの実を結ばせる聖霊、山をも動かす聖霊・・・・
「まして、求むるものに聖霊をあたえざらんや」
※ 聞く者をアキさせることなく話の本筋にグングン引き入れる文学的技巧のタクミな文章 やっぱりHHG歌作曲者だけある。
B 小野田和子さん
外部的幸福のみ求めて主の来る時、なげき切歯しなければならないと云ふ事は愚の骨頂と云ふべきでございませう。完全なるクリスチャンを望みつつも常に 知らずの弱い自己を悲しく思ほます。私の唯一つの願ひ それは神様を愛し ひたすらにこれに仕へまつることです
※ 白いスーツがよく似合った背の高い和子さん時々首をかしげつつ、おしとやかに語られました。
ここは女学生六人の合唱が入り、論題の発表はちょっと一休み。賛美歌147「わが罪をおひ」のところ、どうも危い。二番三番は「しっかりね」とキロク者は、ひらにエス様にたのむ。
C 女学生の平井スミ子さん
女学生とは思へない内省的なスミ子さんの唯一のねがひは、正しき歩みをなすために必要な「勇気」なそうです。
※「意気地ナシ」性格の弱さからなるこの種の卑怯さ、私もこの事に常にたたかひを感じるものです。自己の正義と信ずる事を決行しえず。また相手に対する同情から相手をして不正なる立場より、離れゆく正しさに登らしむる勇気なき事、相手に負はすべきものを負はしめるに堪えざる事、す 性格の弱さからくる意気地なしです。私も凡ての事に勇気が欲しい。
D 折笠昭四郎
凡てを神様の心にまかせ信仰に深く したいねがいです。
※ 次に独唱される。賛美歌112「 のなかに」
勇ちゃんのイトコだけあり勇ちゃん ぬ ハズ
E 折笠宣彦さん
常に祈りつつ、主に従ふ事によろこびを 生涯 それが私の唯一の願ひです。
ニコニコして「 下手ですから」と前置きして
宣ちゃん十八番 ハーモニカの独奏
「エス我を救へり」「主よ我が主よ」
(解題) 記録者の鈴木知子は、仙台から父の機関区転勤で原町に転居し、折笠宣彦と教会で知り合って、のち阿部家の養女に入って宣彦と結婚。全国で珍しい日本基督教団のなかにとどまったホーリでネス派の青葉荘教会の会員として平成9年まで天寿をまっとうした。平成3年、仙台市の阿部宣彦を取材。戦後の原町教会の様子をインタビューで聞いた。
路傍伝道に参加して 天野良子
九月六日 土晴
大分朝晩寒くなって路傍伝道も人が誰も集まらないのではないかと思って心配でならない。ここに来るのも今晩で何度だらう。教会は私の生命の恩人でもあるのだが、その教会のために、今のところは献身らしい献身は何もしていないのも残念にも思ふけれども、前途はまだまだこれからだ。やがて自由の身となったら、ほんとうの意味の主のために働く事も出来よう。今晩はいつも地下足袋姿も主宰者の××さんが、お見えになられなかった。何かご都合がおありだったのかしら。先生達がお見えになられた。小さい無邪気な子供達が「キリスト来た」とさけんだのが、おかしくもあり、なつかしい言葉にも聞えた。折から電気が消えたので「凡て疲れたる者、重き荷を負へる者は我に来たれ、我汝らを息ません」との教会の行灯の光が、真っ暗な中に美しい光をはなった。いつ青いでもこの聖言には頭が下がる。
心配したように集まる人が信者を除いてはごく僅かだったが、そんな事にはおかまいなく信者の方達歌をうたひ、証をしてくれて、うれしかった。道を通る人もひやかし気味に通ってゆく人もあるし、ちょっとのぞいて通り過ぎで行く人もある。知らんふりをして自分になんかそんな事何も関係ありませんよなんて云ってるふうに見向きもしないで行く人もあるし、色々だ。どうして聞いてくれないのだらうと思って悲しくなって来た。私が泣きついて一人一人呼び止めるわけにも行かないし、困った時ばっかり真剣にお祈りするようで神様には申し訳がないのだけれど、こんな時はもう神様の御力におすがりするより外にどうする事も出来ないのかも知れない。
××兄、壇の上に立って大きな声でさまよふ人々を歌ひ出した劇的な一場面だった。先生や証をして下さった兄弟二人の方には手を合わせたいような気持ちになった。私なんかはまだまだ学ばなければならない点はいっぱいある。故郷に居ると云ふ
HHG雑誌より 試練の光栄 渡辺雄幸
九月二十四日、私はゆるされそして神の子とせられ 只喜びと感謝にみたされて新しき生命に歩み出した此の日を生涯忘れる事が出来ないであろう。
私はそれ以来常にペテロ前書四・12-14を拝読致して居ります
「愛する者よ 汝ら試みんとて来れる火の如き試練を異なる事として惜しまず反ってキリストの苦難にあずかればあづかる程喜べ、なんぢら彼の光栄のあらはれん時にも喜びたのしまん為也 もし汝らキリストの名のため謗られなは幸福なり 栄光の御雲すなはち神の御霊なんぢの上に留まり給へばなり」
クリスチャンの生活は苦難と試練の生活である けれども苦難より反って光栄が来るのだから悲観してはならない。
苦しみが天の御国の入り口であると ペテロは書かれました。本当に正しき者は今も相変わらず苦しみを受けて居ります けれども私達はクリスチャンです、世なのです。常に感謝し「我々に豪胆なる意志をあたへ凡てが十字架に従ひ迫害を充分担ひ得るものとして育て上げて下さい」と祈らずには居られません。
われらこそ十字架の つわものなれ
いかでか恥ずべきイエスの御名を(386番)
昭和22年9月26日。恒例の金曜日の原町教会青年会の集会例会。(折笠宣彦記録)
椅子を円形に並べたら、妙にガランとして了った。席が全部ふさがるだろうかと一寸心配
「しづけきゆうべの」「わがきみエスよ」をさんびして兄弟姉妹を待つ。
汐子(牧師)夫人の祈りで会は始まった。
出席したのは小野田和子、高篠信子、有馬美佐子、有間ミナヨ、木村みや子、平野キヨ、安川令子、牧、平井(妹)、中沢と鈴木千恵子の二人がダンスを披露したという。なごやかな青春の日々。
安川さん、さんび歌525を独唱。
母は涙のかわく間なく祈ると知らずや♪
(解題) 311の直前直後に、安川令子さんをとうとう探し当てた。令息が郡山市で牧師になっていた。安川家の家庭は、父親を早く失って、女手ひとつで子供たちを育て上げた家庭で、娘を連れて教会へよく集まった。時代的な背景と家庭の事情がわかるにつれて、終戦直後の洗礼を受けた人々の信仰の経緯が明瞭に見えてきた。
平井妹が、教会では漏らさなかったことだが、親友だったという佐藤ひろ子さんから、平井の家を訪問したときに、彼女たちが大陸からの復員者であったことを聞かされた。
帰還船のデッキの上から、赤ん坊を抱いて海に飛び込んだ女性の話を、ぽつんと語った。母のいない理由を、最も親しかった同級生にだけ伝えたのだ。
平井はいま日本にはいない。長く外国暮らしをして、そのままである。姉は国内の老人施設に入っているという。
野崎静雄「わがゆく道」朗読。軍隊から帰って、こんごの民主日本で生きてゆく指針として母親の信仰の遺産のキリスト教と、どのように出会ってきたかを、このノートによって理解できた。
折笠宣彦は、ハーモニカ、さんびか361番を演奏した。
鹿又仁、泰の兄弟について「実にしずかな口調で感謝の証をされました。今度、洗礼を受けました」とあった。実に、そこには、わたしの親友が、昭和22年に洗礼を受けていたことを、このノートで、初めて知った。
渡辺雄幸さん =「街の人々は食料不足で困っているけれども、この事はかえってタラフク飯を食っている農村青年に比べると非常に幸福なことである。私は一農村青年として農村教科の責任を痛感します」と言われて「世のたのしみうせされ」を独唱。
南部昌平ちゃん、と記録されている。 最年少の参加者。
ポスト HHG雑誌より
みんな入れませう
心の中の四ツ角のポストに
「お祈り」の郵便を入れませう
ポストの底でコトンと音がしたら大丈夫
あなたの澄んだ心にはもう直ぐ
神様からの無線電信のお返事が
ひびいてくる事でせう(T)
× × ×
私はあの晩ゆきました・・・・うち迄きこえる賛美歌に居ても立ってもゐられずにいったのでした。あの行灯に浮き出された凡て疲れたる者は 重き荷を負へる者は我に来れ 我汝を息ません」との聖言、このあかりに照らされた人の顔は如何に私にとって貴く見えたことでせうか・・・
本当にいってよかったと思ひました。
それは、今日のようにしづかなあの日を思ひ出してペンをとりました。実はHHG誌に出さうと思ったのですが、ペンをとるままに書いてゆくと先生への手紙になってしまひました。
誰も居ない、広い、そしてシーンとした会社の中でした。私一人です。唯前の日に溶けた白百合の花だけが夏の涼風を受けてゆらゆらゆれてゐました。その時二人な事を思ったのです。
誰も知らない の木かげにほのかな匂を放つ百合、おやどこかしらとたづねるままつつましく咲いてゐる百合は私の大好きな花です。でも私はこの花にもおとる路傍の石、みにくい石なのです・・・・
我一人るす居の宿に花一輪
一輪の花に宿るや神の霊
(中略)
私の胸にともった信仰の灯火も決して消えないと信ずるのです。イエス様のともしてくれた灯だからです・・・・
ずっと教会にゆかない、でも今日もじっと耳を澄ますときこえてくるのは、いつの でせう 教会に在った時うたった賛美歌228と279番です
うたってくださいあの歌を、私はじっと耳をすましてきいてゐます
それでは先生みなさまによろしく
さようなら (M・K)
うち迄きこえる賛美歌に居ても立ってもゐられずにいったのでした。・・・・教会堂は、当時の幸町。現在の東町、大町の近所だろう。
昭和22年10月7日 原町教会青年会の親睦会
記録帖より 1
洗礼を受けられたHHGの方達の会合のモヨウを御知らせいたします。記録者は ヤスシさん 記録係を指名された時は全くガクゼン? としたのです。
矢張りオトコの子ですからいさぎよく引き受けました。
でも何処から書いて好いのかわかりません。そこで私のインク壜の中に住んでゐる漫画子(マンガシ)に「記録係をカワリにやって呉れないか?」とたのんだら「ヨロシイ!」と心よく引き受けて呉れたので私が書くようなふりをして、一切を漫画子にたのんで私は専ら御馳走攻略の方に専念致すことが出来ました。以下漫画子の記録です。(脚色したところがあるかもしれませんが何分に漫画子の事故ゴカンベン願ひます。
1、勉学に励む人と働く人が多い故の中々集まらなかった、かどうやら七時十分頃にはKちゃんを除いて集ることが出来ました。そこで先づS先生の導きで聖歌186と51を合唱つづいて御祈が終り、会が開かれたのは七時廿分頃でした。
2 先生の御挨拶
一年の闘の実がむすばれて此処に選ばれた人々と一緒に労をねぎらひつつ、此の意義ある会がもたれました事を感謝致します。今、伝道の第一年第一期が終り、第二期に移らうとして居ります。神様に選ばれた十五人の(多士済々)皆さんと共に今后共決意を新たにして神様の聖光をあまねく広め、不孝な人々を救ひたいと思ひます。いかなる苦難あるともイエス様を信じ、十字架を負ひ、祈り、感謝したたたかひたいと思ひます。今后も眼を大きく開き、伝道もこの原町だけでなくこの地方全般に宣教の心がまへをもちたいと思ひます。打って一丸となり献身努力いたさうではありませんか。此処でシト行伝二章三十七ー四七の聖言をひいて私達を祝福して下さいました。
3 続いてIちゃんのお祈り 聖歌186を合唱
4 終ったところへケンランたる御馳走が並べられました。どこから手をつけて好いかみんな迷った程です。おサツが出たとき女の方々が迷はずニンマリと決心の微笑をなさいました(虚偽のほどはうけ合いかねます)
5 Kちゃんやうやく来る(これで顔ぶれが 全部そろひました)
そこでS子先生のおいのり親睦会に移ります。
6、Sさんからアイサツがありました。「今日の主催者は一体誰なんでせう。これは皆さん一人一人が主催者であり、お客さんでありますが、神様のおみちびきでもたれました会ですから、主催者は神様でせう」と云はれました。亦終戦後の色々な教会の歴史? と困難の中にいかにたたかって来たかを話され今晩も皆さんと一緒に先生を中心に協力前進いたしませう」と結ばれました。
7、蓄音機がこわれてゐてきけませんでしたので、先ずもういっぺんSさんから 。「私はいつも年令を多くみられて此の間も二八歳位か? と言はれました云々」(私も二八才位にみました) 聖歌「救ひのめぐみ」を美しいメロデイでうたはれました。
8、次のTさん。左マワリですからと、エンギをかつがうとしたのですが、あちこちからナントカカンとか・・・・・ついにおとなりのUさんへ。Uさんは専らおつとめの御仕事のおはなしをさっくりした気持のよい態度でしてくださいました。
9、Tさん観念したのか、自己紹介をやってハーモニカ「昔主エスの」と「旅愁」です。
10、先生に指名されてK子さん眼をクリックリッとやると「私のはじめて来たのは今月の・・・・」どこからか「今夜!」と入る、一同爆笑! 救はれたる当時の事をケンキョに話されました。280番「神は我が力」を歌ひました。
11、次にKちゃん「私は人に女性的だとも云はれ又図太いところがあるとも云はれます」と話を進めて悠然と賛美歌361「父のみかみよ」をハーモニカと一緒に歌ひました。それから「イイデスカ?」とことわって黒田節ならで「凱歌」と謂ふ奴を堂々とギンじました。(これで女性的だなどと謂うから図太い奴といはれる人だと思ひますが如何?)
12、さんびか「ささやかなるしづくすら」を一つ。
13、S・Iちゃん 奇襲指名される。だが莞爾と笑ってお話をする(ストーブが赤々と燃えてゐた。ボクは時々やけどをしたりし乍ら・・・・街灯のことろに雪が・・・・)と教会に来た頃の思ひ出ばかし、そして「沖へ出でよ」を歌ひました。
14、Hさん冒頭にエート、ウーン(ちょっとうは向いてうす目をして、かわいい声で)とやったので笑い声振ふ。やがて御家族の満州からのお話をしましたのでシンミリといたします・・・・(教会へはじめて来た時、下ばかり向いてたのですが、黒いツメエリの人と頭の毛をバサッとした人と・・・・みなしきりにNちゃん見て笑ふ・・・・ゐた事をおぼへています)「一人のみこを」をうたふ。
15、R子さん もう二年位早く生まれればよかったと思ひます。(一番小さい十六歳ですので)・・・・では最後に賛美歌を一つ(どこを歌ふのかなと思ってると)歌ひたいと思ひますが、お医者さんがうたってはけな(喉をためてるので)と云ったので・・・・爆笑。
16、(お次T子ちゃん、アラ、こんどは男の人よ、さうさう)Iちゃん安心してお茶を とやったところを「ではIちゃん」とすかさず指名されました。(モグモグ)
・・・はじめ・・・・その・・・・歌ふの、異様に感じましたが・・・先生は兄さんんお様な気がします・・・(Kちゃんなにやらメイ想にふける)で、さんびか「まぼろしの」を歌ひました。これはたしかR子さんのお母さんの好きな歌だった筈。
17、Tちゃん 満面こぼれるよな笑みをたたへて小さい声で話された。「・・・・あんまりテイネイにすわってふすまをあけたりするのを テーブルにこしかけて・・・すましてる。その人を笑わせて、ふつうになるように、してやりたくなるんです・・・・やっぱり一人っ子だから、わがまま?・・・なのかもしれません・・・・」と話された時、いみじくも? Kおじさんさも感じ入った様に感嘆したので、爆笑又爆笑!
18、次私の兄貴 信仰に入った経路 話の佳境に入ってもう教会に行く頃だなと思ってると又終戦の方に戻ってしまふので一向進捗しない。もっとも人生わずか五十年と年寄りじみた事を云っていたのだから話は五ヵ年計画らしい。
19、Mさん 話をしてゐるのかなと思ったら、やっぱり話をしてをられた(本当に静かな人です)ひたすら神さまに感謝して居られた。
20、Nさんハーモニカはわたしの十八番ではありません。十六番です。わたしはハーモニカはおろかアコーデオンも・・・・(?)ヴァイオリンなどはもっとも得意とする所であります__(オヤオヤ?)と言ひたい所ですが・・・・(コレデ二度目ダ!)誰か呼ぶ(かして一同亦たのしくかつがれました)「どうもへんだと思った」とは弟SIちゃんのコトバ {わずらひ多き}「主よわが主よ」をハーモニカで。
21、シンガリはS子先生 作詞作曲自作の「お姫さまと王子さま」をうたひました。「なんだかチイチイパッパの昔に帰へった様です。Sさんの希望によって日記の公開、皆さん大いに感心してきいて居りました。
最后に賛美歌をうたひました。岡田先生のお祈りで愉快な会が終りました。(鹿又康記)
解題
2 先生の御挨拶 一年の闘の実がむすばれて・・・・岡田牧師夫妻の赴任と伝道から一年間、原町の教会に通い始めた若者たちに聖書と福音を教え伝えてきたことが、「洗礼」を通して同信の信者として集まった初めての会であること。
5 Kちゃん 杉山金一 S子先生 岡田汐子牧師夫人
6 Sさん 鈴木知子姉妹か
8 Uさん 渡辺雄幸 のちの布川。当時は宮城県農業技手。
14 Hさん 平井すみ子姉妹
15 R子 安川令子姉妹
16 Iちゃん 折笠勇
17 Tさん 武山昭夫か
18 私の兄貴 鹿又仁
19 Mさん 諸井さんか 20 Nは、折笠宣彦
1947年~1948年の原町教会青年会ノート
クリスマスを称ふ 雄幸
○いくさやみ 三度迎へぬ クリスマス
○ベツレヘム そのかみの星 今もなほ みそらに高く きらめかん
○クリスマス 平和の鐘よ 高らかに 世界の果迄響かん○
○教会の十字架高く星空にめでたき調べ窓にあふれて
十二月十九日
金曜会 午後六時半より
みことば ヨハネ伝 第一章 九節~
もろもろの人をてらす真の光ありき 世にきたれり。彼は世にあり世は彼に由りてなりたるに、世は彼を知らざりき。
汐子先生に言はれてゐた。
次に女学生の人達の劇の初公開 みな感心して観て居りました。但しキューピーさんの頭には皆さん噴出しました。「帽子をかぶせなければ」・・・・と誰かが言ってをられました。照明が入り服装がちゃんとしてゐたらすばらしいものだと思ひます。
最期にクリスマスのうち合わせをして会を終りました。
鹿又泰 記
十二月二十六日 金曜会 午後六時半より
楽しい楽しいクリスマスも過ぎて今度はお正月を目の前に向けてゐます。男五人 女七人
紺野容子 記
一九四八年HHG新年顔合わせ会
一月二日 金曜日
男・・・静夫先生以下 七名
女・・・有馬さん以下十三名
内容
懐古と展望 年初祈祷 HHGへの希望
○鹿又(泰)兄・・・昨年の一大収穫は神を知ったといふことであった。
幸なるかな心の清きものその人は神を見ん
○有馬姉・・・選集188番独唱
○鹿又(仁)兄・・・神の存在を知れることが最大の収穫
「求めよ さらば与へられん」
聖書を読むことの足らなさを感ず
ここで兄より同級会の席上「戦争」否定といふことについて確固たる立場において賛成の意を示したものが兄一人であったことを証され なほ何時の間にか大勢に押し流されんをする弱さを告白され我等をして深く考へせしむる問題を投げかけた。これに対する先生の考へと経験との発表もあった
○先生の早起き失敗談
○富田姉・・・日曜学校を参観してよりHHGに入った。
○牧師・・・非常に神が身近に感ぜられるときと遠く感ぜられるときがある。兄弟姉妹と共に愉快に進んでゆきたい。
○内藤姉・・・クリスマス祝会に参列してよりHHGに入った。
○角見姉・・・もっと深く神を知りたい。
○HHGへの希望として折笠昭四郎兄より具体案をいふものについて 折笠勇兄より聖書研究会について 岡田日芽子姉より
HHG No 1948 Jan
昭和23年 1月18日(日曜日)の青年会集会ノートより
参加8名
渡辺(布川)雄幸氏の発言も記録されていた。
汐子先生より トーレイ博士「聖書の真理十講」の一部をよんでいただき、それについて各自の感想を話した
要点・・・・聖書の権威の概略について 第二の理由は予言が適中することである。その予言は一、明らかに言語にあらはされたものと見る。
言語にあらはされた予言は
1、キリスト降誕の予言 2、ユダヤ人に関する予言 3、異邦人に関する予言である
そして1の予言について云へば キリスト降誕数百年前に書かれたにもかかわわらず、やがてこの事は微細な点に迄一人のナザレのイエスキリストにことごとく適中した。これが私の聖書は神の言と信ずる第二の理由である。
第三は 聖書にはその底流に貫く統一のある点である。
聖書は六十六巻からなり、少なくも四十人の人間の手で著はされ(その人々はおのおの階級えお異にしている)地理的にもはなればなれの場所から、千五百年に亘る時日の間に編集せられ、各種各様の文学の姿をもって書かれているにもかかわらず、全体を通じて一貫なる思想と目的が存在し、その一部は他の一部と全く吻合し、現存する書籍中でもっとも一貫した書籍である。これらのいちぢるしい現象は総てを支配し、すべてに命令し、すべてを監督し、すべてを神の御意につくりあげる神がえらぶ人間の著述家の背後にあるといふ事に帰着する・・・・
○渡辺 今まで聖書の権威等につき深く知る事ができなかったが只今いろいろときかされまして、その驚くべき予言の的中や合理的なこと等を思ふと只不思議と言ふより外はない
○宣彦 あまりにもよくとかれてゐるので、あきれたといふ外にない
○勇 自分はあきれたと云ふより、しゃくにさわるくらいだと云いたい。きいてゐるうちに力のわくのを覚える
○などなど、その後、知ちゃん (知子)聖句について質問す・・・・いろいろと語り合ふ・・・・原子力のことから再臨の事に迄及ぶ・・・・(渡辺雄幸記)
金曜会 1月23日 宣彦記
何と云ふか名状しがたいものが私達の内に強く迫ってくるのでした。外はこぬか雨が音もなく降り。しづかなしづかな夜でした。せんせいのおいのりに私達はアーメンと心から申しました。
今晩の出席者 男 青田君 鹿又仁さん ノブちゃん
女 汐子先生 紺野さん・根本さん・平井さん・高野さん・安川さん・二瓶さん・富田さん
日曜会 1月25日(知子記)
○「聖書の真理十講」つづき
○今後洗礼を希望される日芽ちゃん 感想を一言
出席者 先生、汐子先生
昭ちゃん、松木 ちゃん、平井さん、悦子ちゃん、日芽ちゃん、国分さん、知ちゃん、宣ちゃん、勇ちゃん 九名
今日はHHG誌の九号が出ました。詩も創作も沢山あるゴウカバン。HHG誌の発展をいのる
(解題) 原町教会は、日本一致教会からの流れの教派であるが、たまたま無牧の教会堂が空いている伝道の拠点に、いわきの月城牧師の紹介で、双葉地方出身の岡田静夫牧師の原町赴任が決まった。とうじ、福音系の教団であるホーリーネス教派の聖職者も昭和16年の文部省による日本基督教団の大同団結によって、同一組織としての連合体の一部として傘下にあったから、伝統的な教会で、再臨信仰の強調を特色とするホーリネス教派の聖書教育が行われていたことは当然だった。
その再臨信仰が、戦時中の天皇制ヒエラルキー体制に忌避する思想だとして特高警察が徹底的に狙いを定めて、ホーリネス派牧師を逮捕収監し、このうち17人が栄養失調と不衛生、極寒灼熱の獄舎での正座を強いられたり、長時間の取調べ、時には暴力拷問による虐待で獄死させられていた。
日本基督教団は、これらのスケープゴートにされたキリスト教信者の殉教者を見殺しにした。同業の別教派の牧師信者らでさえ、支援の行為を咎められて逮捕されることを憚って沈黙した。
「ホーリネスとは関わりを持つな」というのが、おおくのクリスチャンたちの暗黙の了解だった。
イエス磔刑の前夜から早朝にかけての、大祭司カヤファ邸の庭での出来事、すなわちペテロの主の否認が、戦時中の日本でも行われたのだ。終戦とは、暴虐からの開放であると同時に、ほんもののクリスチャンにとっては凄絶な内心における三度の鶏鳴であった。
この年、昭和23年には、原町教会の故老の信者から「教会堂を明け渡すように」との申し入れにしたがって岡田夫妻は退去し、中央ではホーリネス教団が日本基督教団から分離独立する。岡田夫妻は同年2月、原町リバイバル聖書と名を変えて自宅で礼拝を続けた。聖書教会に移ったメンバーと、従来の原町教会の父兄に説得されて従って残った青年と、HHG青年会も分裂した。