原町キリスト福音教会の歩み
以下は東洋福音宣教団の25周年記念誌からまとめた浜通り相馬中村と原町での東洋宣教団の動き。
1951年(昭和26年)5月、責任者インクワード師が中村へ。字北町で伝道開始。当時は聖日礼拝、祈祷会は日本キリスト教団中村教会へ出席。毎週土曜日のバイブル・クラスだけを中村北町の宣教師館で開催。
6月26日、A・スエンソン師、ブルスダード師中国から中村に着く。同七月、A・M・クワルメ師、H・グンレスヒー師、中国から中村に着く。
1951年(昭和26年)10月、A・M・クワルメ師、R・コーラス師が原町へ。原町市における伝道開始。(40周年記念誌ではゴーロース師と表記されている)
同年12月、I・M・ヨハンスン師が原町に着任。55年12月まで奉仕活動。
1952年(昭和27)から57年8月まで5年間は原町ホーリネス教会と合同で活動。
1953年(昭和28)6月、コーラス師植田へ。
1954年(昭和29)2月、A・ブルスダード師着。3月、クワルメ師帰国。
1955年(昭和30)10月19日、A・ブルスダード師帰国。ヨハンスン責任者来る。同年12月、B・ホルゲン師着。~61年6月まで。A・クヌッッン師着。
1956年(昭和31)12月、A・M・クワルメ師着。~58年6月。
1957年(昭和32)6月、グラブグレグ師着。~62年9月。
この時代には、この北欧福音キリスト教宣教師たちは市井の民家に間借りし、教会の尖塔もなく、十字架を掲げた会堂もなかった。信者の家庭に集まっての日曜礼拝が続けられていた。
1966年(昭和41)年9月からは、外国人宣教師から日本人の小嶋八千代師に委ねられた。
1968年(昭和43)には黒田昭一牧師(現教団理事長)が着任。(~73年)
1969年(昭和44)に待望の教会が建設され、8月に献堂式が行われた。橋本町における10年4ケ月にわたる集会は終わった。
原町キリスト福音教会の歴代教師
主に1969年の会堂建設以後
小嶋八千代師 1966.9.~1968.3.
原町キリスト福音教会の最初の日本人教師。1968年3月退任。
黒田昭一師 1968.4-~1973.4.
1954年8月浪江の請戸海岸で安藤晋市師より受洗、1957年献身し、1961年4月より1962年3月まで、A・ブルースタード師とI・J・ヨルケンルード師と湯本キリスト福音教会で協力伝道をし、192年より1968年まで四倉キリスト福音教会で、R・ゴルニッカ師と協力、1968年4月より1973年まで原町キリスト福音教会で、B・ホルゲン師、S・グラーヴクレーヴ師と協力、1968年11月牧師按手を受けた。1973年4月より内郷キリスト福音教会に着任し、現在(1991)は団体理事長として多忙な日々を送っている。
黒田昭一牧師
篠原康男師 1973.4.~1977.4.
1972年、北海道より宣教会に加入、内郷キリスト福音教会でE・クヌッツン師と協力、1973年原町キリスト福音教会に就任、1977年4月24日、宣教会を辞任、北海道へ。
E・クヌッツン師 1977.4.~1978.1.
篠原牧師の退任の後を受けて原町に就任。1978年1月磯原へ。
S・グラーヴクレーヴ師 再任1978.1.
桜田ますみ師 1978.7.
A・ステイネーゲル師 1978.9.~1980.5.
I・J・ヨルゲンルード師 1980.4.~1981.10
10月帰国。
A・ステイネーゲル師 再任1981.11.~
E・フラーテン師 1981.11.~
S・グラーヴクレーヴ師 再任1982.9.
原町青年会議所インタビューを後述。
鈴木笑子師 1983.1.~
好間で献身、宮古教会で奉仕の後、四倉教会に一年、都留田幹夫牧師と結婚、牧師夫人として宮古キリスト福音教会で奉仕の後、聖書宣教会で勉学中の夫君を助けた。
E・クヌッツン師 再任1983.9.~1985.6.
1989年3月をもって30年にわたる日本での宣教奉仕に終止符を打ってノルウェーに帰国。のち1991年11年、東洋宣教会会長として来日。教団創立40周年を日本で祝した。
大平健次師 1984.4.~1990.4.
1976年3月14日、勿来キリスト福音教会で受洗、1980年献身、1984年から1990年3月まで原町キリスト福音教会奉仕、1988年5月15日、渡辺武治師より牧師按手礼。1990年4月より、平キリスト福音教会に着任、現在に至る。
石黒実師 1990.4.1.~
1964年、酒田ルーテル同胞教会で受洗、1984年献身、1987年4月、平キリスト福音教会に着任、1988年3月20日ルーテル同胞聖書神学校卒業。1990年4月1日、原町キリスト福音教会に着任。1990年7月1日、理事長の黒田昭一師により牧師按手礼を受ける。1994年、福音教会を辞任し原町聖書教会を創設。
また小池あや子師は、日本基督教団郡山教会で受洗。父の転勤で中村へ。中村キリスト福音教会に出席し献身を決意。中村キリスト福音教会でA・ゴルニッカ師と協力伝道、B・ホルゲン師とS・グラーヴクレーヴ師とともに原町キリスト福音教会の開拓伝道に尽力した。1979年5月昇天。
原町出身の今野徳子師は、献身して1970年から2年後高萩キリスト福音教会で奉仕、好間で9ヶ月奉仕の後結婚、現皆川圀昭師夫人として活躍。
以上は「宣教40周年記念誌」より。
第一種教会への昇格
1969年(昭和44年)に教会堂が建設され、1991年(平成3)1月には第一種教会に昇格。さらにあらためて会堂建設の1969年以降をカバーするため「東洋福音宣教団40周年記念誌」から原町福音キリスト教会の項目を拾う。
ノルウェーより来日した2名の宣教師が、原町の地に福音を宣べ伝えてから40年が経過しました。当時の原町には、日本基督教団原町教会と原町ホーリネス教会の2箇所の教会がありました。2名の宣教師は、町内に生活のための家を借り、また、集会もできる場所を捜しながら伝道が始められました。
1959年4月橋本町にある家を借り、集会所として使用することができました。この集会所では日曜日には、日曜学校・礼拝・伝道集会、金曜日には祈祷会を行っていました。また、各創区の子供たちのために、太田、桜井、石神の3地区にて子供会を行っていました。後に、この子供会から、イエスを救い主と信じる勢名の人がおこされました。新会堂の建てられる1969年までの10年間に約25名が新しく群れに加えられました。
1969年8月24日新会堂の献堂式が行われ、原町市内の教会を知らない方々にも目に見える教会となりました。当時の教会員は、現住陪餐会員3名、地方会員2名の小人数でした。また、残念なことに親しく群れに加えられた方々の内、20名もが家庭の都合等の理由により非陪餐会員となっておりました。集会は、聖日礼拝、伝道会、聖書研究祈祷会、家庭集会およぴ原町、磐城太田地区の2箇所にて教会学校が行われていました。以後10年間の内に、婦人の方々を中心としての婦人会およぴ聖書の学ぴと生け花、新たにできた仲町団地に於いては、子供たちへの伝道のための仲町子供会、宣教師の英語の語学力を活用し、若い人へ英語を通してのヤングタイム等、それぞれの地区・時期のニーズに応える集会を行っておりました。新会堂を建ててから10年後の教会員は、現住陪餐会員10名、地方会員5名、残念なことに非陪餐会員が17名でした。また、この間に原町キリスト福音教会としては、最初の新しいクリスチャンホームが誕生しました。以後、第一種教会に向けて、教会員が徐々に加えられ12年間には4組の新しいクリスチャンホームが誕生しました。新しいクリスチャンホームが誕生したことになり、年々子供たちも加えられました。会堂が新しく建てられた当時は、会堂が広く感じられたことでしょうが、今日では、礼拝の平均出席者数が大人19名、子供11名と、会堂が狭く感じられます。
宣教が開始されて40年、この間ノルウェーから来日した10数名の宣教師と牧師・伝道師および神学生の働き、また、ノルウェーの信徒の尊い献げ物に支えられ、ようやく第一種教会(教会員25名)となることができました。教会員が増し加えられると共に会堂の老朽化も進んでいます。“主の宮が廃墟となっているのに、あなたがただけが三板張りの家に住むべき時であろうか。今、万軍の主はこう仰せられる。あなたがたの現状をよく考えよ”ハガイ書1章4、5節
これからは、新しい会堂の建設と包括宗教法人の取得を目標にし、周辺町村を含めた地域への福音を伝えて行きます。
(安川宏記)