北原の聖療園
戦前戦後に存在した遠藤シゲ女史経営の聖療園について。当時療養中だった北原出身の白石孝治さんからの報告。
手紙の中に北原の聖療園と云う文字が突然出てきたのでアラ、と思いました。むかし当所にわたしがいたことを小耳にしてのことかとも思いましたが。
ともかくなつかしい名前に消えかかっていた記憶をたぐりよせています。一九四九年九月から五一年六月までお世話になっておりました。特に遠藤シゲさんとおくさんの房子さんには本当に面倒をみてもらい、当時入手がむずかしかったストレプトマイシンなども米国の教会から現物で贈ってもらったものを使ってもらい大変助かりました。今でも忘れることは出来ません。感謝しています。剛雄さんはすでに亡くなっていたので、知りませんが子供がまだ小さかったので亡くなったのは終戦まぎわではないかと思います。子供は三人で長男の(トモちゃんと呼んでいた)方はあとで県職員になって郡山勤務になった時、須賀川に移っていたわたしを見舞ってくれたそうですが、病棟がわからなくて会わずに帰ったとか、あとで房子さんから手紙でそんなことをシラされたことがあった。女の子は恵子ちゃんと云っておりましたが、その下の男の子は名前を忘れてしまった。
シゲ子さんは北原の道路から入ってすぐ右のところに住んでおりましたが、房子さんは松林を入ってから池のそばに家を建てておりました。
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