鉄道の教会福島メソジスト 
記念すべき日本最初の鉄道ストは石田六郎らクリスチャンが指揮した
〔福島メソジスト教会の第二期の担い手に関しては、『日鉄、矯正会とキリスト教』(『明治学院経済論集」、第二号所収)と題する工藤英一氏の綿密な研究があり、これを手がかりとして進みたい。
 さて、明治三十二年に、日鉄一福島鉄道機関庫事務所技手として石田六次郎が福島に来たり、集会が定期的にもたれるようになったことは先に述ぺたところである。これは日本労働史上で周知のように、明治三十一年のはじめに日本鉄道会社(現在の国鉄、東北本線)の機関方によって大規模な同盟罷工(ストライキ)があったことと大いに関係がある。
 この「日本鉄道会社」の待遇改善期成大同盟の首謀者の一人が石田六次郎である。(事件当時かれの住所は尻内)この日鉄、機関方の同盟罷工は四百余名の参加者により東北線一帯の列車運転を停止せしめた事件で、その要求は貫徹した。規模の大きさからいって、明治の労働運動史上画期的なものであったという。この事件中、当然石田は責任上解属されはしたが、このストライキが労働者側の勝利であったことと労働者側の攻勢により、かれは復職して明治三十一年八月に仙台勤務となり、次の転任地が先述のように福島であったわけである。いわばストライキの中心地であった福島に乗込んできたかっこうになる。
 この争議の途中で会社側より十名の機関方が解雇されているが、その内の五人までがクリスチャンであり、また福島における指導的役割をはたした宇野豊吉、成瀬銀一郎らは、二人とも、明治三十三年十月と十二月にそれぞれ長老司石坂亀治によって受洗している。そのような状況の中で、このストライキがもたらした結果は、労働者側の会社圧迫に対抗する自衛手段たる「日鉄組合矯正会」なる組繊の結成であり(結成は三十一年四月五日、本部を福島におき、支部を上野から青森まで十五の駅においた)、争議によって勝ち取った労働者意識の品位向上に向けられた。労働者側全員がそうであったということはできないが、すくなくともクリスチャン首謀者らの方向は、倫理的高潔をもつキリスト教信仰の「伝道」であリ、その実践目標として「禁酒会」運動の宣伝であった。
 『労働世界』は「日鉄同盟罷工余談」と題して、「今度日鉄同盟罷工事件に於て特色とすぺきは、首謀者たる石田六次郎氏は基督教信者たる事。次に接戦の間、各罷工者は一滴の酒だも用いず且つ梶棒等一切用いざりし事。第三は直ちに仲裁に委したる事、特に代議士芳賀卯三吉氏、福島県より選出せし同士が罷工者に同情し尽力せること是なり」
 また「さすがに文明的の教育を受けたる技術者の事とて従来ありふれたる鳥合の徒党とことなるもの……」(引用文、共に工藤氏論文より)となっている。これらの状況からみて、彼らの意向する方向を予想することができるであろう。先に述べた「矯正会」はその後、会員によるストライキ基金の蓄積にもっとも力をそそいだし、その強固な発達は、共働店運動(今日の生活協同組合活動に以ている)となり、その組織内部で禁酒運動も活発であったのである。禁酒運道に関しては次章で触れることにするが、大正期に活動した故井筒平は、「昔のメソジストは信仰目標がはっきりしていた。キリスト者であることは、みな禁酒運動家というような面があった云々……」と筆者にもらしていたし、石田六次郎の息石田公平によれば、「そのころ幼い私は、福島でよく父に手を率かれて芝居小屋で開かれる禁酒演説会に連れられて行った……」と述ぺていた。〕
 「福島信夫教会百年史」による。

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