小高を去った後も 熱心な農業指導

 小高の地を離れたのちも、農村問題の講習会等を通じて小高の人々とは親しく交わりを持ち続け、小高時代から大きな影響を与えた。
 杉山元治郎が死んだ直後、小高でも問い等式が行われたが、当時の町長は弔辞で次のようなことを語ったという。
 「杉山先生ほどの人物が若い時代の十年間を小高で過ごしたことは、小高の土地にとってはありがたいことであったが、もったいないようにも思われる。早くから全国的な活動をするために中央に出られていれば良かったような気がする」と。
 しかし、それはすこし認識の仕方が誤っているのではないか。反論するのは現在小高町で歯科医を開業している鈴木七郎さんである。なんとなれば、杉山元治郎自身は自己の半生をふるかえる時、折に触れては小高時代の十年間の農村伝道の実戦活動がいかに重要であったかという点を強調したのである。すなわち杉山元治郎に十年間の小高時代という時期がなかったのならば、それ以後の杉山という人物はありえなかったと考えられる。杉山のキリスト教主義思想と、農民運動の理念を創り上げるためには、小高における農村活動の実践は必要なものであった。この十年が、杉山の人格を平成舌かけがいのない時期なのだ。杉山自身がつねづね語って人に聞かせていたこのことを、その町長は全く理解できていなかった。

つづき
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