これが賀川と杉山をとりもつ縁となるが、それについてのちに沖野は横山春一にあてた私信のなかで次のようにいっている。
「ある日雄弁会の記者青柳隆治君が来て、将来のある青年を二人紹介してくれと言ったので、私は即座に引き受けて、賀川豊彦、杉山元治郎の二人について書いた原稿を送ると、青柳記者が当惑そうな顔をしてやって来、編集会議にかけた所、誰も賀川、杉山の名を知らない、あまりに有名でなさすぎるから、今少し人に知られた人物を紹介してほしいと言った。そこで私は、右手で自分の首を斬るまねをして、この二人が有名にならなかったならば、私のこの首をあなたにあげます、と言ってその原稿を持ち帰った。そしてそれが雑誌雄弁に掲載された。
 その当時の杉山、賀川がまだ全くといってよいほど無名であったことがわかって面白い。
 こうしていよいよ社会運動に身を投じようとして杉山が住みなれた小高の地を去ったのは、大正九年十月四日であった。

つづき
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