日本国憲法の産みの親鈴木安蔵の故郷小高教会について。
日本国憲法の民間の「草の根」憲法試案をまとめた鈴木試案。産みの親となった南相馬市小高区の鈴木安蔵の少年時代を過ごした小高教会のはじめ。
お隣の近藤政子さんより、昔の杉山牧師時代の逸話を語ってくれました。教会80年のあゆみに記述されているのをもとに質問し、かつて常国寺のとなりの細川という家を借りて集会を持って いたというのですが、今の商工会(むかし役場があった)の隣り当たりだそうです。板倉板金というのも、名前だけ残ってます。板倉という家はその辺らしい。
杉山が小高に来てすぐの時には旅館に泊まっていたが、その旅館でも集会は持ったようです。あるいはこの旅館というのは、大曲駒村の姉で未亡人のクリスチャンがかって宿をやっていたのでその家を借りたという場所のことだろう。
小高教会発祥の地をどこに確定するか、それはその史書をかく人が決定する。私なら、林薬局の先祖である鈴木良雄夫妻の持ち家で空き家になったのを杉山が借 り受けて云々とあるのが、それではないかと思う。娘の鈴木瑛(てる)は杉山の推薦で宮城学院に進学したし、原町教会でも小高教会でも伝道補助で働いた。弟に有名な安蔵もいる。
すでに中村や原町その他で洗礼を受けた信者が小高に何人かいた。それが、小高最古のキリスト教信者になった。小高教会創立は明治35年で、教会員名簿は 36年からいきなり多くの人名が記入されているのは、そのためらしい。洗礼者は、外国人やら、日本人牧師やらですが、ほとんど東北学院がらみです。
つづき
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