弔辞 汐子先生 鈴木知子

 私が汐子先生と初めて出会ったのは終戦間もない昭和二十一年頃でした。戦争中、長く閉ざされていた福島県の原ノ町の教会でしたが、オルガンもそのまま。そして、屋根にはまだ十字架がしっかりとかかげられておりました。静夫先生は、東京におられたので、殆ど汐子先生お一人の伝道の舞台でした。
 先生は細面のほっそりしたやせ型の体形で、又冷たさの感じさせる程の美しい方でした。ご長男の信常ちゃんは、まだ、ヨチヨチ歩きの坊やでした。又やさしい、おだやかな、信仰のあつい汐子先生のお母さんは、信常お守りをしながら、家計をきりもりし、汐子先生の支えとなっておられました。
 汐子先生は、豊な優秀な才能を凡て伝道に活かして、私達を導いてくださいました。希望や目標を失ってしまったその当時の若者達の心をちらえずにおきませんでした。女子高のバイブルクラスも担当しました。工場の集会にも出かけました。路傍伝道の時のちょうちんなどは、あんどん、汐子先生の指導でみんなでデザイン製作をして仕上げました。
 またクリスマスには「だしもの」、をもって近隣の教会を応援しました。又、聖歌、讃美歌など有名な曲は、四部で歌える青年会でした。特に汐子先生は「九十九匹の羊」(聖歌)がお好きで、この曲をアレンジして脚本をつくり、演出、又おどりのふりつけや衣装までつくり、とても楽しいものでした。沢山の青年たちが汐子先生の周りを取り巻きました。その頃から古い信者の方々もだんだん集まるようになり、教会が教会らしく形をととのえるようになってきました。
「恵信」No.124