エズラの旧約編纂

新バビロニアで

 聖書が「魔の国」と攻撃するバビロンは、具体的には古代バビロニアや、新バビロニアまで含む、現在のイラクの南に首都があった。微妙に場所は移っています。
 要するに、文明の遅れた青銅時代のイスラエル(イスラエルとユダという国から成る聖書の国ですが、実際にはユダの国の話です)は、周りの国にぼこぼこにされます。なぜなら、ユダヤ民族が神なき悪の国と攻撃する歴代の周囲の国は、みなカナンという農業の豊饒なフェニキヤ海洋民蔵などが進歩的な鉄を作る技術を持ち、馬という発動機に牽かれた強力な戦車を持ち、こてんぱんにやっつけたからであります。
 ユダヤは、面白い国で、日本と同じ「憲法第九条」に似た平和憲法を持っていたために、自分たちが最もすぐれている民族だと考えていました。そして、それは事実でした。
 なぜなら、それは、さかのぼることエジプト時代に、モーセというユダヤ人の人生を通じて、現れた神によってもたらされたからです。何が。平和憲法ですよ。それは日本国憲法によく似た運命の、あるいは内容の律法で、ぜんぶで十条ありました。
 神の住むホレブ山でモーセが神からいただいてきた十か条の憲法。そう、みなさんも知っておられるモーセの石板のことです。古代ユダヤの人々は、自分たちこそ最もすぐれた民族なのは、平和憲法を持ってるからだと信じましたが、それは逆です。モーセはたしかにユダヤの長老で、指導者で、エジプトから民族脱出したリーダーになりました。
 その脱出は、栄光への脱出ではありましたが、実際には惨めなものでした。民衆は、ほとんど第一世代が「ああ、肉が食いてえ。エジプトに戻りてえ」と、モーセに猛抗議して、60万人だか数万だか数千だかのしゅうだんであったかしりませんが、民族脱出グレイト・エスケイプの結末は、第二世代のリーダーヨシュアによって成し遂げられるからです。
 ほとんどの脱出組が死んでしまったのは、彼が不平しか言わない、民族の誇り高き経典の民であることを置き忘れた不道徳な人間ばかりでしたから、このあたりの物語を実にすばらしい文学の力によって、エジプト脱出を記録した古人の記憶を、新バビロニアにひっぱられていったユダ王国のインテリの中のエズラが指揮し編纂執筆したのが、出エジプト記です。
 そこには、青銅の蛇が出てきます。ユダの民族が荒野で作れたのは低い温度でも融解して形を作れる青銅しかなかったから、足を噛む蛇のあ立を作った。これを棹の上に掲げて、モーセたち脱出作戦執行部の指揮官たちは民衆にいました。
 これを見上げるもの(look upon)つまり崇敬する者は生き、無視するものは死ぬ、と。
 かくて、第一世代のほとんどが死んだ。霊の蛇に噛まれて死んだわけじゃありません。第一世代の年齢が満ちて老衰死しただけの事実を、こういうふうに文章のレトリックによって、劇的なファンタジーにしてしまいましたのです。
 ユダヤの文学の力をあなどってはいけません。
 あなたは、聖書が丸ごと事実を書いてあると思ってるのですか。バカですか。そういう人は、ぼくの文章を読まないでください。真意が傳わらないですから。

https://ja.wikipedia.org/wiki/バビロン捕囚