アメリカへ渡った… 富田おりんと鈴木とみ
ロサンゼルスの鈴木傭・とみ一家から原町の実家に送られてきた記念写真
 高木みどりは誰?
 朝のテレビ小説「はね駒」が好評だが、主人公の橘りんのモデルが実在した相馬出身の女性新聞記者磯村ハルさんであることは既報のとおり。
 さて、原の町出身の、同級生高木みどり(美保純)のモデルは誰だろう、と原町市内の視聴者の間でささやかれている。
 東北女学校(宮城学院がモデル)の上級生で、落第して橘りんと同じクラスになる、ひょうきんな先輩、高木みどりは、相馬の隣町の「原の町」の呉服屋の娘という設定だ。
 主人公のその後の人生の生き方については、おおむねモデルとなった磯村ハルさんの生涯をベースにしているが、高木みどりの訳どころは、物語性が強く、シナリオによればきわめてメロドラマ風の展開の中の、主人公の引き立て役。この役のモデルは誰というより、作者の自由あ捜索の中の人物といえる。
 それでもなお、登場人物たちの境遇や時代背景をたどって、親しみを込めて似たような青春群像を探せば、それはある。
 明治時代の原町で、現在の四つ葉交差点北東側に「田村呉服店」というのがあった。おはようドミンゴ四月号で紹介したとおり、相馬の牧師吉田亀太郎がキリスト教伝道のため原町まで(この当時鉄道はまだ開通していないので、徒歩で)やってきて、四つ葉の辻で路傍伝道をした。石を投げつけられたりしながらも、熱心な宣教を続けた結果、その姿を見ていた田村呉服店の主人田村音次郎と妻おそのは、深く帰依するところあって、キリスト教に入信。原町で初めてのクリスチャンとなった。この夫婦は子供すべてをキリスト教に洗礼し、この中からおりんととみという姉妹が、アメリカ合衆国へ移民している。妹の名が奇しくも「富田おりん」という。仙台の女学校へ進学した。姉のとみは明治四十一年に鈴木傭という人物と結婚して渡米。鈴木傭氏は、アメリカの西海岸ロサンゼルスで新日米社という会社で新聞を発行していた。昭和八年にアメリカで死没。その子供たちは日本人の顔を持った日系二世として新しい世紀のアメリカ人となった。鈴木とみから故郷原町に送られた多くの写真は、現在も二見屋在住の姪のみか子さんの手元にある。みか子さんの父親田村光雄は、鈴木とみの一番下の弟にあたる。キリスト教を通して世界とつながっていった明治の青春のしぶきは、こんにちまで静かに信仰の遺産を残した。みか子さんはアメリカの従兄弟たちと顔を合わせたことはない。
 相馬原町から世界へ。
 鈴木とみ、富田おりん、といった女性たちも、明治という時代に新しい息吹を感じて、海外へと飛躍していったもう一人のはね駒といってよいだろう。
 おはようドミンゴ26号 1986.6.16 p202

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