1945年8月10日の郡山空襲の撃墜記録 POW Research Network Japan
http://www.powresearch.jp/jp/archive/pilot/hokubu.html
1945年8月10日午前
福島県田村郡宮城村大字高倉字作田権現堂
空母ワスプから飛来したF6F(機体番号79301)が墜落。
Warren S.ANDERSON中尉はパラシュートが開かず死亡。
1945年8月10日午後2時頃
福島県郡山市下八木八ケ作
イギリス空母フォーミダブルから飛来したF4Uが墜落。郡山飛行場を攻撃中に撃墜された。
Leslie A.MAITLAND海軍中尉が死亡。
1945年8月10日午前
福島県岩瀬郡西袋村(現・須賀川市)西川
イギリス空母インディファティーカブルから飛来したファィアーフライが墜落。郡山飛行場を攻撃中に、対空砲火を受け、翼がちぎれた。
Burn F.O’NEILL海軍少尉とThomas L.DARBY海軍少尉が田んぼにパラシュート降下して捕虜。須賀川憲兵分隊、郡山憲 兵分隊を経て、仙台の東北軍管区司令部へ送られたが、終戦により、17日に東京の大森捕虜収容所へ移送、ニユージランドへ帰還。
(編注。2014年8月に現地を調査。搭乗員は生存し、連絡がとれた)
1945年8月10日
福島県田村郡滝根村(現・田村市滝根町)の神俣駅付近の畑(現・滝根運動場)
イギリス空母インプラカブルから飛来したTBF(機体番号JZ136)が不時着。
Victor H.SPENCER海軍中尉とJack ROGERSON下士官は機体から脱出して逃走したが、2日後に双葉郡川内村上川内付近の山中で発見され、警防団員に包囲され捕虜。川内村の国民学校に駐屯していた日本軍部隊に引き渡され、トラックで原町憲兵隊へ送られたが、その途中、この英軍機部隊の機銃掃射を受けて被災した(18戸焼失、3人死亡)川内村の住民らが捕虜に襲いかかろうとする一幕もあったという。彼らは仙台の東北軍管区司令部へ送られたが、終戦により、17日に東京の大森捕虜収容所に移送、イギリスへ帰還。
(編注。本稿では、原町憲兵隊に連行されたこの項目について詳述しています)
1945年8月10日
福島県郡山市とイギリス空母インディファティーカブルの間
ファィアーフライ(機体番号979)が墜落。
T.A.G.MacBRIDE海軍中尉とG.D.ROBERTS海軍中尉が死亡。
二上英朗「原町憲兵分隊秘史」はきょう2015年3月17日発行。最後の米英軍の墜落パイロットの日時、場所、氏名官位を収録しました。