原町特攻隊の群像

1944(昭和19)年10月25日の海軍の神風特別攻撃隊「敷島隊」にはじまる戦闘員の生還を期さない必死必殺の肉弾体当たり攻撃に、翌11月から陸軍航空も続いた。
飛行学校の分教場であった原町飛行場で訓練を積んだパイロットたちの中からも多くの特攻隊員が選抜され、ついには原町で「神州隊」「国華隊」2隊が編成され出撃していった。

万朶隊 園田芳己 99双軽

勤皇隊 山本卓美隊長以下13名 二式複戦
白石二郎 二瓶秀典 増田良次 東直次郎 勝又満 林長守 入江直澄 大村秀一 片野茂 12月7日 オルモック湾 9機10名
湯沢豊 北井正之丞 加藤和三郎 12月10日レイテ湾

鉄心隊(八紘第五隊)松井浩隊長以下 12名 フィリピン近海
三木将司 西山敬治 林利喜夫 志村政夫 小川武士 藤原義行 長尾輝夫 星一二郎 長浜清 岩本広智 河合郁夫

義烈空挺隊 97式重爆
諏訪内忠一 藤田長寿

皇華隊 現地特攻・飛行第45戦隊 3名
小川睦郎 斉藤三郎 小野寺甲子郎 マニラ附近 昭和19年12月~20年1月

進襲隊 八紘第12隊 99襲 12月30日ミンドロ島沖
久木元延秀隊長 沢田源二

皇魂隊 八紘隊第11隊 三浦恭一隊長以下8名 二式複戦
途中戦死
少尉 門口燁夫   陸士57  ラオアグ 19.12.25
軍曹 渡辺 力   予備下士  ルソン島北部 19.12.25
伍長 利光勝義   少飛13  クラーク   20. 1. 4
伍長 小平 昭   少飛13  比島     20.1.不明
軍曹 春日元喜   仙 8   リンガエン湾 20. 1. 6
中尉 三浦恭一   陸士56  リンガエン湾 20. 1. 8
曹長 倉知政勝   〃 90  リンガエン湾 20. 1. 8
伍長 寺田増生   少飛13  リンガエン湾 20. 1. 8
伍長 入江千之助  少飛13  リンガエン湾 20. 1.10

皇魂隊 (隊長・三浦恭一中尉 / 五十六期)
皇魂隊には、門口・桑原の両名が任命され、鉾田にて十一月二十日編成完了となったが、飛行機整備に手間取り併(あわ)せて天候不良のため十一月二十九日の出発となった。出陣式には菅原道大(二十一期)航空総監も臨席され直接訓示があり、次いで今西六郎師団長より激励の訓示の後、飛行場関係者の見送りの中十二機の編隊を組み飛行場上空を通過して大阪へと向かった。
この皇魂隊が鉾田にて出発準備中に、陸軍報道班員の作家中野実氏が隊員と生活を共にした二日間の特攻隊員の訓練や生活態度・言動等を記事として、昭和二十年四月号の『婦人倶楽部』や『文藝春秋』などに「基地の特攻隊」「八紘隊は征く」として報道したとのことである。(『五十七期航空誌』より抄録)

春日軍曹
 なんにも知らずに家へ帰りました。すると、その日に万朶隊の発表です。その時、はじめて、俺も行くなと感じました。それで、ほんとのことを云ったら、またおふくろに泣かれると思って、冗談めかして、俺も体当りをするかも知れんと云っておったんですが、最後の日になったら、ほんとのことをほのめかしてかえるつもりでおったんです。ところが、どうしても云えなくてね。ほかの家から電報をうって帰隊しました。その前に、家を出る時に、どうかして覚悟をさせようと思って、十二月になったら、ラジオのスイッチを入れていてくれと云って出て来たら、途中で、おふくろが感づいたらしいんですよ。急いで家を出て、駅へ行く途中で、おふくろがうしろから追いかけて来て、私の名を呼ぶんですよ。つかまったらかなわんと思って、とっととこっちは駈け出して来たんですが、こんなことなら、よくわけを云って落ちつかせて来た方がよかったですよ。
 春日軍曹はそう云って明るく笑うのである。私は鼻がしらがじいーんとなって、目をそむけてしまった。
 人懐っこい春日軍曹の顔が浮ぶ。鼻の下にうす髭を生やした、鋭角的な輪郭は、私の知人の誰かにも似ている。そう云えば、入江兵長が、どこかしら私の弟に似ていたことも、親身になって隊員たちの空気にひき入れられた原因でもあった。

 倉知軍曹
 私は、これで戦地へ行くのは三度目です。今度休暇で家へかえって、また戦地へ行くからなと云っていると、万朶隊の戦果発表がありました。見ると、岩本大尉殿はじめ自分の戦友の名が出ているので、これは、うちの隊から出た人たちだと云ったら、おふくろがお前も体当りするのかというので、また帰るからと云って来ました。もう云い残すことも何もありませんでした。親父が、妹の婿も弟二人も南方へ行っているのに、誰も手紙をよこさない。お前はこの正月から手紙をよこせというもんですから、承知しましたと云って出て来ました。
 朴訥(ぼくとつ)そうな倉知軍曹。日焦(ひや)けした大きな顔。神様を欺くことができないように、この人も生きているうちから欺けないような人のよさが身にしみる。

 三浦中尉 一同初陣であります。任務に邁進するのみであります。そして、この任務は一度で、また最後のものであります。まだ若い私でありますが、みんなも私について来てくれるものと確信しております。御承知のように、今度の私たちの任務はハッキリしています。ほんとに雪のような、世の俗塵を去って(と云いながら、三浦中尉は、黒板に、俗塵という文字を書き示す。)自分たちの口からいうのも変ですが、そういう気持でおります。しかし、日本の軍人として、こうして死ぬのも、また第一線の部隊が地上で戦うのも、また海上で軍艦と運命をともにするのも、臣民として、同じであると考えます。ただ、私たちは、自分たちの戒めとして、華々しさを求めて、それに汲々として行動することのないように、どこの野辺に散ったかわからないように、ただ、私たちに課せられた任務を遂行するのみであります。今日も、鹿島さんへ参詣しました。鹿島さんは、実行、断行の神様であります。参拝させてもらってよかったと思います。鹿島さんでは練成道場へ導かれました。高貴な方々でも、宮様だけしかお入りにならない、そんなところへ通していただきました。微々たる自分たちが、もったいないことです。宮司様が、いずれは、神様になられるのだと云われまして、ほんとに何も彼(か)も破格の事をしていただきました。あとは、ただ八紘隊の自分たちが、やり遂げなればならぬ気持でいっぱいであります。
 神の礫(つぶて)のように、私は胸うたれているだけであった。決死行の出発を前に、従容として、弱冠二十二歳の三浦隊長は、こう私に語るのである。わざわざ黒板に、俗塵なる文字を書きしるしたのは、おそらく、少年飛行兵出身の部下たちのためだったに違いない。最後の一瞬にいたるまで、隊長は細かい注意と周到なる用意をもってのぞんでいるのである。

 門口少尉
 隊長殿も云われたように、自分たちは、みんな光栄に思っております。地上部隊は悪戦苦闘しているのに、部隊長閣下をはじめみなさんに、激励していただいて、感激しております。この上は、覚悟して、りっぱな戦果をあげたいと思うのであります。

誠31飛行隊
山本薫

誠32飛行隊 99襲
広森達郎

赤心隊 沖縄32軍直轄の直協部隊 3月28日特攻戦死
美坂洋男 副島武二 吉野芳積

65飛行戦隊 

振武第45隊 藤井一隊長 二式複戦
小川彰 鈴木邦彦 鈴木邦彦 中田茂 北村伊那夫 小川春雄 興国茂 一口義男 宮井政信 伊藤好久

宮之原太吉 生還
坂恒夫 4月28日事故殉職

神州隊 99式襲撃機 3月23日原町で編成。6月7日沖縄沖で戦死。
難波晋策准尉(岡山) 後藤与二郎(三重) 服部良策軍曹(三重)
榊原吉一軍曹(福島県須賀川市) 佐々木平吉軍曹(静岡) 宮光男軍曹(広島)6名
久木田清中尉 隊長 生還


国華隊 昭和20年4月1日原町編成。
5月28日原町飛行場を出撃。6月11日万世飛行場から出撃沖縄沖で戦死。
渋谷健一大尉(山形) 巽精造少尉(幹候9期) 稲垣忠男少尉(特操1期) 井上清 稲島竹三 加藤俊二 斉藤正敏軍曹(同10期) 岸田盛夫 森高夫伍長(少飛13期) 9名
鈴木祥文 生還
橘保曹長(逓信省乗員養成所9期)生還

神鷲と号255部隊
渡辺秀夫

原町飛行場関係比島作戦特攻隊の整備隊・軍属 5名
青田忠央 市村公三 石崎義一 高橋俊夫 岩瀬孝一

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