昭和十九年三月二十日航士を卒業した襲撃分科三十五名の見習士官は、三月二十一日午後上野駅常磐線ホームに集合、学生長の橋本進に掌握され、福島県相馬郡原ノ町の鉾田陸軍飛行学校原町分教場へと向った。同日夕刻原ノ町駅に到着した時は、小雪が降りしきり、薄暗い町並みは東北の寒村そのもので寂ばくたる思いであった。
駅頭に出迎えに来たトラックの荷台に乗り、降雪の中、町外れの石神村にある飛行場に到着し、鉾田陸軍飛行学校分教場の学生舎に落ち着いた。(陸士五十七期航空誌・桑原金助担当)
11.6.早朝、原町駅を発って行った五十七期の航空兵は五名だった。
二十七戦隊に小山正少尉、永田茂寿少尉、四十五戦隊に斉藤三郎少尉、小野寺甲子郎少尉、小川睦郎少尉がそれぞれ配属が決定、赴任のため茨城県鉾田飛行場の本校に向った。
私の日記にある様に鉾田の本校に行く人はいつも五時か、夜の十時の急行列車に乗って行った。
母も叔父も私も魚本の御主人も見送ろうと、まだ暗い街を駅に向って歩いて行った。
駅のうしろがうす紅く焼けゆく。暁闇のなかを歩くなどは普通の生活にはない事なので、やはりただならない思いに引き込まれ、不眠と重なり吐き気をこらえながら歩いたのを暁のいろと共に思い出される。
八牧美喜子「いのち」p58

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