鈴木邦彦少尉日記
五月五日 本陣山に登る。過日の夢は桃の丘、昔しのばれてなつかし。いまは梨花の白くうれいをおびて咲き乱れ、なかに紅のつつじを混う。おとめら草に腰をおろし、早や得意ののどをふるわせあり。白雲走る青空をながめつつ、また草上に伸臥しあるわがほほをなぶる微風と共に、幸多きおとめがメロデイはつづく。静かに目を閉ずれば、志村がこと、久木元がこと、往年のありさまはほうふつとしてまぶたを焼く。近くまた予も彼らのもとに行かんとす。すでに生なし、死なし・・・。
鈴木邦彦 原町飛行場で単襲と
任官記念

これは昭和二十年の五月の原町の光景だ。ぼくが生まれ育った旧北原と呼ばれた二見町の折が沢堤から、野馬追祭礼を挙行する雲雀が原を見下ろすご本陣山に至る低い丘陵の尾根に緑の天国が広がる。若者が集まって、その鮮烈な自然の息吹を浴び、陽光の中で青春を謳歌した。だが、乙女らがハーモニーを競ってさんざめくかたわらで、ひとりこの青年は「すでに生なし、死なし」と沈思し、その日の日記にしるした。
彼は、すでに特別攻撃を下命されて訓練し、ほどなく沖縄に向けて出発を待つ身であった。鈴木邦彦。第四十五振武隊の、陸軍二式複座重戦闘機「屠竜」のパイロットだった。
ぼくはご本陣山と呼ばれる小宇宙の住民だったから、その四季の色彩も、空気も、自分の肉体のように感じるものだから、この季節のみずみずしい新緑の若草色の透明ではちきれそうな水分まで共感してしまう。その生命感の横溢のなかで、ひとり戦友の死を追想し、彼等の運命を追って自分も南冥への出撃命令を受けるために、エアポケットのような休日に、光り輝く五月の公園にいる。
この小さな原町という町は、すべてがコンパクトに、いちおう揃って居る。わずか数キロ四方に、太平洋があり、機関区を備えた駅があり、ここから発するトロッコ軌道が南西に町を斜めに雲雀が原方面へと直行する。そのターミナルに原町紡織工場という軍服を製造する軍需工場があり、二つの煙突に隣接して太平洋戦争のために開設された陸軍飛行学校があった。
彼は陸軍士官学校の航空科目を履修して卒業してすぐ、実戦に投入される兵器として、訓練させられた国家の部品であった。彼等にも感情があったし、あこがれも理想も恋慕もあったが、すべてを諦めて納得して「国のために死ぬ」というお仕着せの道徳の寸法の制服に身の丈を合わせて、往け、の声を待っている。
かれはこのとき、蒸留されて揮発しそうな瞬間の数滴を、天使の取り分として捧げられる美酒であった。
鈴木邦彦 双襲と

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