この日、新手の特攻隊、八紘第十一隊の9機がクラーク中飛行場に着陸した。隊長は陸士56期の三浦恭一中尉であった。万朶、富嶽以来、フィリピンにきた特攻隊は、合わせて十四隊となった。そして、この八紘第十一隊がその最後の隊となった。
 この隊は万朶隊と同じく、鉾田教導飛行師団で編成された。機種は二式複戦、武装は三十七ミリ機関砲一、二十ミリ機関砲二、7・7機関銃一をもっていた。
 富永軍司令官は、この隊を皇魂隊と命名した。
 この隊が鉾田を出発したのは十一月二十九日であった。それからクラークに到着するまでに、二十七日かかっている。皇魂隊の整備員であった河口忠伍長の戦後の記憶によれば、次のような苦難の多い状況であった。
 三浦隊の十二機は鉾田を出発して、大阪(八尾)飛行場に着陸した。この時、一機をこわしたので、代わりの飛行機を受け取るために一日出発をのばした。
 十二月一日、大阪を出発、愛媛県松山飛行場着、二日、松山より宮崎県新田原飛行場に飛ぶ。ここで野沢欣二郎曹長が事故で負傷して同行できなくなり、のちに台湾で戦死。
 八日朝、新田原を出発。沖縄に向う。農霧のため編隊はばらばらになり、沖縄に行きついたのは寺田増生伍長の一機だけであった。三浦隊長以下は新田原に引
き返した。

台湾坊主という台風の目のない温帯低気圧で11日留められ滞在。

二十日、沖縄を出発、台湾塀東着。一機が着陸に失敗して破損。代替え機を受け取る。二十三日兵東を出発したが、バシー海峡の濃霧のため編隊は離散し、三浦中尉、桑原金彦少尉、春日元喜軍曹の各機はルソン島北部のラオアグ飛行場に着陸。門口燁夫少尉、渡辺力軍曹、吉村正夫伍長、小平伍長、入江千之助伍長、、利光勝義伍長の各機は塀東に引き返した。
 二十四日、桑原少尉、春日軍曹、寺田伍長の各機は目的地のクラーク名は飛行場に飛び、

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