とある古書店で、陸軍の航空機を貼ってある古いアルバムを買い求めた。
大正末年頃の生まれで、陸軍の航空関係の兵種らしい所有者の、おそらく遺族あたりが、ごっそり古書店に売り渡したのであろうと想像する。
大正時代と昭和生まれの日本男性の生涯は、生まれた時点でほぼ決まっている。原町陸軍飛行場で数ケ月間、特攻訓練で99式襲撃機の操縦訓練を受けた最後の士官学校卒士官八牧通泰さんは「この機種をわれわれは空飛ぶ棺桶と呼んでましたね」「日本の特攻で一番多く使われたのは、この機種でした。ノモンハン事件の頃にできた旧式の対地戦車用の攻撃に使う大陸用(中国戦線仕様の)兵器ですから、足は遅いし距離も飛べない。いわば時代遅れの飛行機でしたので、いちばん特攻には使われたんですよ」
と、これをあてがわれたパイロット兵たちは揶揄的な名称で呼んでいたのだ。
兵士として国家のために従順に命令によって戦って死ぬことが最大の栄誉であると教え込まれて育つ。その最終的な具体的な場所と状況が、「特攻」という自殺行為であった。
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