アメリカ軍側の記録による1945年6月7・10・11日の日本軍特攻攻撃機の防衛戦闘記録を入手いたしました。これまで不明であった国華隊の最期の様子が、これではないかと検証中です。
Robin L. Rielly 2010 “Kamikaze Attacks of World War II: A Complete History of Japanese Suicide Strikes on American Ships, by Aircraft and Other Means” McFarland & Company, Inc., Publishers, Jefferson, North Carolina, and London.
ロビン L. リーリー 2010 『第二次世界大戦の神風攻撃、飛行機もしくはその他の方法によるアメリカ艦船に対する日本の自爆攻撃に関する完全な歴史』マクファーソンアンドカンパニー。
p.290
6月10日、レーダー阻止地点No.15Aは、地点指揮艦William D. Porter, DD579,ウイリアム・ポーター、Aulick DD569,駆逐艦アウリック、 Cogswell DD651, 駆逐艦コグズウエル、 LCS(L)揚陸支援艦66と86がパトロールしていた。ウイリアム・ポーターは、この地点の戦闘指揮艦を務めていた。2機からなるレーダー阻止パトロールが船の上を旋回し、212海軍航空隊と314海軍航空隊からの志願飛行隊の8機のコルセアが近くを飛んていた。8時23分、314飛行隊の分隊が1.5マイル先にVAL(99式艦上爆撃機)を認めた。撃ち落とそうとしたが無駄だった。銃火をくぐり抜けて駆逐艦ポーターの船尾に突入した。飛行機は海中で爆発し、激しい動きで駆逐艦の船尾を持ち上げ、また叩きつけた。C.M. Keyesキース准将は、後に次のように書いている。
「その爆発が飛行機内で起こったのか、脱落したかも知れない爆弾の内部で生じたかははっきりしないが、爆発が後尾のエンジンルームもしくは少しその後ろのほとんど船の真下で起こったと信じられる。ここに書いてあるすべては、ほんの数秒の間に生じたのだ。この飛行機が7000ヤードになるまでレーダーに触れなかったというある僚船の失敗、さらにこの船が全くレーター照射をしていなかったという過ちについては、後にLCSの一つから報告があった。そのLCS揚陸支援艦は、飛行機の一部を見つけたが、紙と木が広く飛行機の製作に用いられていたことがわかった。発見された部品の記述は、99式艦上戦闘機が布製の操縦席を有していたという事実により説明されるだろう。」
以下略
p.291
LCS(L)122(揚陸支援艦)は、駆逐艦ポーターが死の瀬戸際にあった時救助にあたっていたが、まもなく、それ自身が攻撃の対象となる運命だった。Richard M. McCoolマックール中尉に指揮され、Ammen DD527(DDは駆逐艦), Aulick DD569, Cogswell DD611, LCS(L)19, 86, 94とともに持ち場でレーダーによる監視任務にあたっていた。次の日(6月11日 訳者注)、18時45分、戦闘指揮艦、駆逐艦Ammenが距離42マイルで、侵入してくる敵機を発見、諸艦は戦闘準備についた。2機のVal(99式艦上爆撃機)が現れ、19時に船に向かって飛んできた。両機とも十字砲火により撃ち落とされた。一機は水中に落ちたが、2機目がLCS(L)122の艦橋に突入できた。
p.292
指揮官のマックール中尉は爆発と怪我で意識を失った。彼はすぐに意識を取り戻し、怪我していたにも関わらず、多くの乗組員を救助し、クルーを集結した。マックールは消火を指揮し、それが船を救った。最終的に船が安定を取り戻した時、彼と多くの怪我をした乗組員は、船から病院船に移送された。11人が亡くなり、29人が負傷した。LCS(L)86が12を牽引して港に戻った。その日の彼の勇気とリーダーシップに対し、名誉勲章が与えられた。
リバティー船Walter Colton ウオルター・コルトンは、5月29日に沖縄に着いた。6月11日、中城湾(なかぐすくわん)に停泊していた時、1機のVal(99式艦上爆撃機)に襲われた。最初はLSD6(揚陸艦)に向かったが、高度を上げてウオルター・コルトンに突っ込んできた。艦船からの激しい銃撃にさらされ、その舳先を通り過ぎたが、旋回して船の艦橋に向かってきた。艦橋はそれたが、3番起重機にぶつかり、舷側に突っ込んだ。その地域にいた他の船からの対空砲火がコルトンに当たったが、ひどい損傷は逃れることができた。船の損傷は軽く犠牲者はなかったものの、何人かの乗組員が負傷したと記録されている。
解題
VALというのは、アメリカ軍側の日本軍99式艦上爆撃機をあらわす海軍戦闘機識別記号ですが、これは固定脚と複座キャノピーで通信アンテナを立てた陸軍99式襲撃機と外見上よく似て居る艦爆ですが、99襲(米側のニックネームSONIA)はじつは旧式の対地上戦用の大陸仕様の支援襲撃機で、大陸で敗退して無用になり、海軍の特攻作戦の敢行に遅れをとった陸軍が、最もおおく特攻に投入した機種でした。歴戦のアメリカ海軍の水兵たちは昭和16年の開戦以降、日本海軍の99式艦上爆撃機VALは、頻繁に目撃していたでしょうが、終戦間際の特攻防御の緊張した戦闘時に、じっくり識別できたかどうか。一瞬の視認で機種を識別するには、外見上の特徴の印象では見誤るのではないかと推察します。
日本軍側の記録による昭和20年6月7日と11日の特攻作戦
http://kamikaze.wiki.fc2.com/wiki/神風特別攻撃隊戦果一覧表08(昭和20年6月1日~同年6月28日)より
年月日 特攻隊名 特攻機種機数 直掩機種機数 発進基地 発進時刻 指揮官日本側確認または推定戦果 アメリカ側の資料による戦果艦種艦名 被害 戦傷 戦死 記事
6月7日
神風特攻第二十一大義隊 戦爆七 零戦二 石垣一飛曹 橋爪和美 駆逐艦アンソニー
損傷 不明 – 二回目
陸軍特攻63振武隊 九九軍偵六 – 万世1650 准尉難波晋策
6月11日
陸軍特攻23振武隊 九七戦一 – 知覧0509 伍長麻生 隆 – – – – –
陸軍特攻56振武隊 – – – 陸少尉川路 晃
陸軍特攻64振武隊 九九単偵九 – 万世1608 陸大尉渋谷健一
陸軍特攻159振武隊 飛燕一 – 知覧0520 伍長磯部十四男
神風特別攻撃隊戦果一覧表08(昭和20年6月1日~同年6月28日)
【資料出典】1960(昭和35)年 自由アジア社 元海軍航空艦隊参謀 安延多計夫著「南溟の果てに」 別表1 神風特別攻撃隊戦果一覧表
註)
一、 本表は神風特別攻撃隊を主体として作製した。戦果は海陸軍の特攻機によるものであることは勿論であるけれども、陸軍側の正確な資料が得られなかったため、明確な点のみ陸軍特攻隊を記入した。
二、 機種の戦爆は、爆装戦闘機。
三、 指揮官の階級のうち、大尉、中尉、少尉はそれぞれ海軍大尉、海軍中尉、海軍少尉。陸中尉、陸少尉は陸軍中尉、陸軍少尉を示す。
四、 戦果の欄において、損傷とのみ記入してあるのは、命中か至近弾か詳細不明のもの。30/50は、分子が戦死、分母が負傷を示す。従って、戦死者は30名、負傷50名の意。
以上のように、日本側記録では11日の海軍機の特攻は全くなし。したがって陸軍の99式襲撃機(単襲・軍偵)の振武64隊の国華隊であったことが検証される。
参照:アメリカ側の船舶被害一覧
https://ja.wikipedia.org/wiki/特攻で損害を受けた艦船の一覧