キー115と通称される日本陸軍の特攻兵器「剣」に乗るはずだった、と小湊武俊さんは語る。
「当時私達は特攻隊要員として渋佐海岸の浜の崖を艦船に見立てて真剣に訓練をいたしておりました。搭乗機はキー115の予定でした。最近その機種が正式に認可されていないことを知りました。そのため私達の出撃はなかったのです。
平成22年、原町飛行場関係戦没者慰霊顕彰会「第40回慰霊祭」に寄せた証言。
待機特別攻撃隊
黒磯から各地の飛行場に配属された特攻隊
204 205 206 207 208 二式複戦-8 鉾田KDF 5.2編成 7・26 1FA
225 226 227 228 那須野 キー115-6 鉾田KDF 6月編成 配備7.26
253 254 256 5.6月編成 99双軽-8 黒磯 鉾田KDF 7.26 1FA 5FA 1FA
陸軍特攻は、463隊まで待機編成されており、このほかにも現地で対ロシア戦争に自主的に編成した部隊が数隊あった。実戦に適応しない布張り複葉の初歩の練習機いわゆる「赤トンボ」95式練習機が充てられた部隊さえあった。狂気の沙汰としかいいようがない。
FAは飛行隊の略。KDFは教導飛行隊の略。キー115は陸軍の特攻専用の木造機体で、車輪も再利用できるように離陸すると手動ではずす仕様になっていた。福島県内でも白河女学校などで製作していたという。「剣」と呼称される。
この神鷲204隊こそが、原町飛行場で待機していた終戦直前の米機動部隊の進攻に対抗するための最後の特攻隊(予定)である。編成されたのは陸軍中央部の「と号部隊」名簿によると、戸上晴明中尉、野瀬清水中尉、小谷修一少尉、鳥越正道少尉、滝本裕少尉・特別操縦2期、中尾常雄少尉・特操2期。西田裕一見習士官(無線)、小崎弘道幹特見習士官(無線)。使用予定は二式複戦。255が欠けているのは、後藤野飛行場の特攻隊(実行)だからで、8月9日夕刻に出撃し、敵艦隊は発見できず、原町飛行場に着陸する考えだったが、夜間のうえ空襲で滑走路が爆撃のため使用できない状態のため山中に墜落した渡辺秀夫隊員の搭乗する99式軽爆撃機もこの隊の一機だった。
終戦工作が一週間遅れていたら、上記の待機隊員たちは確実に死んでいた筈だった。
キー115
http://military.sakura.ne.jp/ac/ki115.htm
キー115誕生秘話
http://www.ne.jp/asahi/airplane/museum/nakajima/turugi1.html