柳友次 東京都
第65戦隊
昭和20.5.4.戦死
沖縄嘉手納湾
東京都牛込区若松町128 柳市太郎様 母上様
福島県相馬郡原の町44 八巻利金方 柳 友次
拝啓 寒さも酷しくなりました 父上初め皆様御丈夫に御暮しの事と存じます 小生元気に勤めて居ります故御安心ください
十日程前から茨城の方へ出張演習に参り昨日帰って来ました。
写真受け取りました 大変よく写って居りますね みなそっくり修正なくとれているので皆様と一緒に居る様な 気がします 小生も実物以上にとれていますね大満足です
出張演習は夜間飛より行で毎日暗夜或は月の夜に猛訓練を続け無事に終わりました 我々にとっては一番むずかしい飛行です
月夜には波が銀色に打ち寄せ近くの小高い山がぼんやりと見え夜の景色も仲々良いものです
出撃の日も間近に迫りました 当地は真っ白に雪に覆われて居ります 我も雪煙を蹴って南の決戦場に向かい離陸する事と思います
当地は近年にない寒さだそうです
東北地方の情趣はコタツにあたり乍ら今日の事を語り合う事です 田舎の事故御茶菓子代わりのおこうこうと御茶がコタツの上に乗せてあります 今もそのコタツにあたりながら此の手紙を書いて居ります
寒さも益々酷しく成ります故御身体を大切にして下さい
姉上様 和子に宜敷く 友次より
父上様
追伸 同封の五拾円は何かに御使い下さい
解題 戦争末期における日本軍の航空作戦は、米軍艦船のレーダーを避けての薄暮・夜間の行動の練習に明け暮れた。茨城県への出張の内容も、海岸線での敵艦船を見立てた練習だった。
おこうこう、というのは、相馬地方でいう「つけもの(お新香)」のこと。
八巻家は原町本町で戦後も旅館業をしていた。
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