松井浩陸軍航空隊中尉。特攻「鉄心隊」隊長。原町を出撃する直前に、嘱託医の渡辺伸は「痔疾を完治して、清浄な身体と精神で」死地に赴いた。原町駅を出撃するときには両親が見送ったという。
昭和19年12月5日、フィリピン島スルアンシマ洋上で特攻戦死。99式襲撃機に搭乗。
雲雀が原を見下ろす丘の上の公園墓地にある原町飛行場関係戦没者慰霊顕彰碑として建設された特攻戦死の像のモデルになった。
この写真は、原町から汽車で鉾田に移動し、鉾田飛行場から愛機に登場してフィルピンに向かう本土で最期の姿である。このはれがましい、すがすがしい笑顔を、どう解釈すればよいのいだろう。これから国に殉ずるに、まったき肉体となって、清らかに死にいけにえとなる身の「選びなき」「誇らしき」「悔い無き」満足感にもみえる。信じがたきことだが、人を超える、神になる、と当時の日本人は表現した。
参考
http://www.asahi-net.or.jp/~un3k-mn/riku-tessin.htm
Total Page Visits: 2820 - Today Page Visits: 3