昭和20年8月17日付け 上官から遺族への手紙 空襲死亡の状況

今般御令息國友君御戦死に付ては衷心より哀悼の意を表し候 之も偏(ひとへ)に小兵の不注意より生じたる事と責任を痛感しご遺族の方にお会はせする顔なく罪萬死に値するものと深く愧(は)ぢ入り申し候
當十日は払暁より情報入り早朝より任務に就き八寸角の柱を組合はせたる頑丈なる壕の中にありて対空射撃隊に情報傳達の任に服し居りたる折柄九時五分F六F三機編隊にて急降下し超低空にて爆弾投下し来りたる最後尾の一機が投下したる五百キロの初弾は不退壕の板壁を貫き爆発したり
之を認めたる対空射撃隊員は「無線がやられた」と叫び傍(かたわら)に到り「オーイオーイ」と連呼しつゝ円匙にて弾丸雨霰の中を懸命に掘起したる処分隊長たる御令息の上半身掘り出したるも既に爆風にて一間程飛ばされ片手に受話器を持ち片手に器材を抱へ眠れる如き穏やかなる顔にて何等の損傷を受けず即死したるものと覚しく呼べど應へず、此時攻撃激しく熾烈となりし為掘出中止の已むなきに至り同日夕刻攻撃止みたる後戦友一同にて屍体搬出し得たる次第なり
平躰兵長は平素温厚篤実戦友間人望厚く責任感旺盛、常に学理を探求一面部下を愛する念深く、夜間は常に小兵の傍らに就寝し居り、或る時は寝癖悪く手を小兵の方へグンと伸ばし寝返りを打ちたる為、頬を打たれ微苦笑したる等の思い出もあり、時には農学校時代満州へ行きたる話、其の他郷里の話等淡々と語り一度家に帰りたいと申し居り候も実現に至らず残念に存じ候、兎に角何処よりても非の打ち所なき模範兵にて前途を嘱望し居り、肉親の弟の如く思ひ居り候事とて此度の事は正に晴天の霹靂にして総身の力全く失せたる感致し居り候。
御戦死の情況右の通りに有之、小兵分隊長としての責任痛感致し居り候も今は尊くも祖国の為華と散りたる事呼べど帰らぬ事に候へば諦め難きを諦め候て冥福を専一に御祈り被下度、其内折を見て御訪問致し当時の情況等仔細に言上致すべき存念に候。
右御詫び傍々御報告迄如竹御座候

昭和二十年八月十二日
宮城県気仙沼町
斉藤卓郎
平躰友一 殿
軍事郵便 昭和20年8月17日付消印

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