原町飛行場から、特攻機で出発していったのは、神州隊と国華隊の2回だけ。そのほかは、原ノ町駅から鉾田基地の母隊へと見送られた。立川などで飛行機を受領し、大阪飛行場で爆装し、九州から沖縄に突入するケースが多かった。山本は最初期の特攻だったため、前線はフィリピンにあった。
昭和19年11月、陸軍特攻隊を編成され山本卓美勤皇対隊長、原ノ町駅前にて出発。フィリピンへ。海軍神風特攻隊につづき、陸軍特攻隊として二式複座戦闘機「屠龍」にて米艦隊に突入。「美しき原町、さらば」と日記に記して母親に残した。弟は元富士通本会長。
原町飛行場で訓練した「屠龍」で、フィリピンのレイテ湾の米艦隊に特別攻撃を敢行した山本卓美中尉。海軍の神風特別攻撃隊の第一号では、原町生まれの中野磐雄海軍一等飛行兵曹(二階級特進して少尉に)が昭和19年10月25日にレイテ湾の米空母に突入した。山本は、その11日後だった。原町飛行場で訓練した陸軍パイロットは333名が戦死している。山本は、鉾田の教導飛行団の教官クラスで、戦争まっきには、少年飛行兵まで次々に特別攻撃で死んでいった。
陸軍航空隊中尉。山本卓美。特攻第8「八紘隊」「勤皇隊」隊長。原町駅を出発するとき「なつかしき原ノ町を去る。」「美しき思い出の原町」と軍隊手帳にしるし母に形見に遺していった。昭和19年11月、鉾田教導飛行団で編成。パイロット養成のために教員クラスの熟練パイロットが駆り出された。
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