現在の私の家(ヤマキ薬局)は当時、丸金魚店だった。いまは四葉通りと言っているが、昔は本町通りの一番初めの家で、この前から朝夕、通勤の幌付トラックが飛行場から送迎に来て停まった。
この丸金魚店は戦時中は軍人達の下宿でもあった。六十五戦隊の星野さんも泊まっておられた事を中田少尉の手紙が告げている。
空襲時には機銃掃射にあったらしく、弾丸の跡が二階の天井にも今も残ったままである。
何方だったのであろうか、いまはたしかめるすべもないが、昭和二十年の或る日、回覧板を持って行った私に、「お宅に権藤が遊びに行っているそうですね」と尋ねた青年がいた。六十五戦隊の下宿していたお一人で河野慶太郎、山崎重雄(57期)の沖縄で戦死された方であったと思う。
この方も遊びに来たいのかなと思ったが、他の家の下宿人でもあり、また、ごんちゃんの上官でもあるからまずいかと子供心に言葉を呑んだ。お誘いしていれば、思い出を残す事が出来たものをと今は残念に思う。
p218「いのち」八牧美喜子著
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