t/wp-content/uploads/2015/04/toryu.jpg”>中田茂
陸軍振武45隊特別攻撃隊の顔ぶれは原町飛行場で訓練したつはものばかり。原町の乙女たちから血染めの血書「轟沈」などの血文字を書いたさらしや羽二重をもらって戦場に向った。首都防空基地の松戸から出撃してゆくときは、未練がましく飛行場を旋回することもなく真っ直ぐに飛び去ったという。ひとりひとりに原町の思い出がある。自分の死を思い出してくれることを願いながら。
遺筆
皆様御元気ですか、御伺いいたします。小生もお蔭様にて無事。明日より九州へ出撃、目が廻りそうでたまりません。お見送り有難うございました。
発車後一筋ボロボロ、手紙を開いてからボロボロ、涙等どこかへ忘れたと思って居りましたら矢張りある様でした。せきますままに乱筆お許し下さい。何れ車中にてゆっくりお便り致します。
本二十五日当知覧飛行場に到着、本体に合しました。明日か明後日総攻撃を行います。
川口は五月四日未帰還確実な報です。
明日は天候不良の為、明後日になると思います。五月二十七日。
飛行場では失礼いたしました。本当を言えば来て頂きたくありませんでした。別れが益々辛くなるだけですから。
寛ちゃんはじめ皆様にもよろしくお伝え願います。
五月二十五日夜
中田茂
加藤美喜子殿
返信駄目
鹿児島県川辺郡知覧
藤井隊 中田少尉
蝉の鳴く檜林に腰を降ろして又書き始めました。
未だ命令が参りません。
原町に居った戦隊が当飛行場に頑張って居ります。魚金に下宿して居た山崎、川本、星野の三人の同期生は星野一人残って居るだけ。
川口は五月四日未帰還と同戦隊の下士官が語って居りました。随分と其の前は活躍した様子で、その下士官も惜しい人でしたと語って居りました。
折角此処まで来ながら事故の為出撃出来ないものがあります。
私共の隊は編成も古く、隊員も優秀で、振武隊中でも精鋭中の精鋭と自認して居ります。必殺の意気凄く、物凄い戦果を必ず挙げると自信満々、闘志烈烈、心境淡々、いざ征かん哉、敵撃滅の意気に燃えて居ります。
明日は初陣と決定、振武隊全力にて突入。
五月二十八日。
空母一隻
嗚呼、空母、空母………
胸に空母を描いて行きます。
同封の小為替、気を悪く致される事と思いますが、何卒御受領下さい。線香代にでもしてください。
第九次総攻撃の最先陣、第一次攻撃隊として、二十八日七時頃沖縄に散ります。
かへらじと思ふ心にただ一つ願ふは見事空母撃沈
月は美しくさえ渡って原町を思い出しますが、一切の情を拝して、明日は突入。
長い間色々有難うございました。
では元気で征って参ります。 草々
五月二十七日夜 中田茂拝
湯浅多喜子(姉)様