万朶隊の99式軽爆に爆装された機首の信管
陸軍最初の特攻万朶隊
海軍の神風特攻隊「敷島隊」の成果に日米の全軍と全日本帝国国民が驚愕し、畏怖さえした。陸軍航空の首脳もいちはやく海軍に追随して特攻隊を出撃させた。その最初の部隊が「万朶隊」である。白羽の矢は鉾田航空隊の岩本大尉に当てられた。
岩本大尉を隊長に、原町で訓練した園田芳己らが隊員に下命された。
東条の盟友であった富永恭次陸軍航空司令官は、ルソン島の大富豪の屋敷を挑発し部下の下卒を召使のごとく使役して美食と豪奢な暮らしを楽しみながら、口に特攻をとなえ、みずから出陣式を華麗に演出し軍刀を振って出撃隊員を鼓舞激励した。
純真な隊員は陸軍航空のトップみずからの壮行式に感激したが、この人物が「諸子の後つづく」「最後に征く」と唱え続けながら、ついには圧倒的な米軍の敵前から台湾へ大本営の命令もなく現地最高司令官の責任を逃れて敵前逃亡した。
他方で鉾田および原町の出身の特攻兵たちは、陸軍第一回の特攻「万朶隊」の隊長の岩本大尉の厳しくも部下にやさしい人柄と人間的な人格を想うにつけ、その最後があっけない出撃前の死であったことに、無類の無常と悲運とを痛感していた。
もとはといえば、いつ米軍の攻撃があってもおかしくないフィリピンで、悠長に華麗な出陣式をするために、最前線から自分の居所のルソン島にわざわざ特攻隊員を呼び集めるという非常識な命令が、彼らの無駄死にを招いたのである。
しかり、命を捧げて出撃を覚悟していた岩本隊長も園田も、直接の戦闘と攻撃のためでなく、最高司令官個人の虚栄のために、むざむざ卓越した技量を現出することなく、儀式のために戻されて殺されたようなものであった。
このことをも富永は「岩本隊長の仇を討て」と、残った部下に叱咤命令し、隊長のいない部下だけで万朶隊は出撃して、従容として死出の出撃に飛びだった。
使用した九九式軽爆撃機の、爆装は、みるからに異様であった。
500kg爆弾が確実に爆発させるために、中世の騎士の槍の如き機首に何本もの細長い信管を突き出させ、これが見慣れた99式軽の姿かと、その優美さを知る者には異様さだけが感じられた。
万朶とは、春先に咲き乱れてはあっけなく散ってしまう桜の潔い姿の美を愛でることばである。これもまた富永司令官が命名した「はなむけ」の美称であった。
しかし、そのことばのうつくしさに比べて、命名者の底意にはおぞましき醜さを感ずるのは後世から遠く眺める、知らされざる世代のわたしだけだろうか。
佐々木友次
万朶隊の
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