いのち 戦時下の一少女の日記 白帝社 1996.8.15 1500円
もくじ 1ベコ屋編隊の思い出 昭和18.12.28~19.8.28
19.6.15.夕方、お茶畠に美代ちゃんと坊やをつれて行ってみようと思ひ坊やにズボンをはかせて居たら突然警戒警報が出る。今度はどこに来たか? 夕暮でうす暗かったし、サイレンの鳴り始めた三十ビョウ間位の不気味さ、だまって耳をすます。電気はうす暗い上に黒い笠をして有るので、暑苦しくてむんむんする。
疎開児童の交流の思い出 少飛十三期会 坂本由一
2野分 19.11.2~
十一月六日早朝、原町駅を発って行った五十七期の航空兵は五名だった。
二十七戦隊に小山正少尉、四十五戦隊に斉藤三郎少尉、小野寺甲子郎少尉、小川陸郎少尉がそれぞれ配属が決定、赴任のため茨城県鉾田飛行場の本校に向った。
小山正少尉遺稿 実施学校・原ノ町と空中操作訓練
陸軍異動週報 戦死者を列挙
原町特攻隊の歌 作詞 木下栄寿
十一月二十九日
いよいよ寝ようかなと思って居たら、どうも半鐘の音らしいのが遠くできこえる。おやと思って母さんをおこして聞いてもらったらやっぱり半鐘の音。心配して母さんが表へ出て行ったら警戒警報との事。すぐに久木元さんをおこして言ったらぱっと飛び起きた。でも遠くでひくくなるだけ。帰へろうかななんて久木元さん又フトンの中にもぐり込んでしまふ。私達は気がもめてモンペをはいたり防空頭巾を出したりして居たら、今度はいよいよ警察署のサイレンがなり出す。そしたら久木元さん又ぱっととび起きて川口さんをおこして二人で一台の自転車へのって行く。月夜だった。門に皆でたってお見送りしたっけ。
日付なし(自己出版の「秋燕日記」には、十一月三十日としてある。内容から確定したのだろうが、出版社の編集の段階で日付なしのまま採用している)
きのうの晩はコタツをかけて皆でゴロ寝。次の朝久木元さんが来るまでちっとも知らずに寝て居た。「誰れも飛行場まで行った人なんて居なかった。少しあわてすぎました」なんて、帰へって来たっけ。この日が久木元さんは最後のお休みだった。秋市一日目。雨が降ったり止んだり曇り日の寒い一日だった。
注。「大甕地区従軍記」という地域の老人の回想集に、飛行場関係戦没者慰霊祭の座談会記録として、19年末に空襲があったという記録を検証していたら、個人の日記:当時15歳の少女の日記に「警戒警報」と、警察署のサイレンがなったという記録をみつけた。「空襲」があったのではなく、「警報」が鳴った、というところだ。
11月29日が秋市の初日だったという。久木元というのは、特攻隊の隊員で松永牛乳店に遊びに来て宿泊していた
3 流星 12.4~ 久木元少尉の戦跡
4 飛燕 20.元旦~2.2. 皇魂隊記録
5 若桜 20.2.3.~原町の空襲p166 平体の戦死 杉本の父親の手紙
6 郡上節 川口少尉日記1.17~5.1 美喜子日記3.4.~3.15
7 博多人形 66戦隊 戦隊長交代 権藤貞雄の戦死 武克隊 赤心隊
8 蝉時雨 3.18~4.13 中田茂 鈴木邦彦
鈴木邦彦少尉日記
五月五日 本陣山に登る。過日の夢は桃の丘、昔しのばれてなつかし。いまは梨花の白くうれいをおびて咲き乱れ、なかに紅のつつじを混う。おとめら草に腰をおろし、早や得意ののどをふるわせあり。白雲走る青空をながめつつ、また草上に伸臥しあるわがほほをなぶる微風と共に、幸多きおとめがメロデイはつづく。静かに目を閉ずれば、志村がこと、九木元がこと、往年のありさまはほうふつとしてまぶたを焼く。近くまた予も彼らのもとに行かんとす。すでに生なし、死なし・・・。
9 あの花この花 4.8~4.13 58期
10 白鳥 神州隊 榊原吉一 国華隊 渋谷健一 井上清 巽
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