松浦蓉子「私のいもん文」

松浦蓉子(中央)
私のいもん文は、小山さんという少尉さんにあたりました。そして返事がきました。それから飛行場へいもんに行ったら、先生に『蓉子さん、第一しんしつというへやで小山少尉という人がまっているから行きなさい』といわれて行くと、京子ねえさんがいました。鈴木少尉という人となにかしゃべっていました。

昭和19年5月31日、原町国民学校の代表によるによる慰問があり、合唱「ワレラ村ノ道ブシン」や「万寿姫」の劇を上演したのだが、五年生の京子はその時、「頼朝」を演じた。鈴木少尉のアルバムに、「サテサテ五番目ノ舞ノミゴトデアッタゾ…」とそのせりふが書いてあるが(註。同期通信15号花風吹座談会13頁)出色の演技だったそうで、そのあと引率の三瓶先生と高沢ツネ子先生が、乙学三十一名(四名転出後)と生徒多数に向き合うように言われ、一人対二人位の友達になり、文通や家庭訪問をするようになった。我が家では幼時やはり富樫の役をしたという鈴木少尉と京子が偶然友達になり、小山少尉と蓉子が慰問文で結ばれるという、同寝室に二重の御縁であった。

それから間もない6月27日(火)夕6時半頃、「頼朝の家へ行こう」と小山・鈴木・久木元の3少尉が見えられ、外で食事をすると遠慮するのを母が無理に引きとめたのが、親交のはじまりであった。

「花風吹」第5号 高橋圭子
昭和50年5月