皇華隊の斎藤三郎、小川睦郎、小野田甲子郎。19.12.19.特攻

斎藤三郎斎藤三郎小川睦郎p小川睦郎

 

小野田甲子郎
小野田少尉について。
陸士57期。鉾田~原町。飛行45戦隊。皇華隊。19.12.19.
フィリピン、ネグロス島。昭和19年10月30日、乙種学生課程を修了し、45戦隊に配属。蒲田、小野田、斎藤、小川の4名は原町から大阪に至り、12月23にクラーク基地に到着。45飛行隊の各中隊に配属。翌日シライ飛行場に移動、レイテ方面の激しい作戦には参加させず、12月上旬、第四航空軍司令部から特攻編成を命令され出頭12月14日、蒲田が先行。マニラのサブラン飛行場に到着。12月19日に後続3名はネグロス島とマニラの間で搭乗機が墜落。
斎藤三郎 陸士57期。45戦隊、皇華隊。12月19日戦死。公報は14日。
戦隊拝命し原ノ町駅を十一月六日出発。小野寺が宿泊していたのは芸妓置屋丸川を改造して下宿をしていた布川家だった。

小野寺甲子郎の遺書
一、天皇陛下万々歳 皇国ノ必勝永遠ヲ信ジマス
二、今更別二言フコトナシ只死アルノミ 敢然ト行カム二十一歳ヲ最期トシ桜花ノ如く楠正行ノ如ク二KDTノ名ニ於テ
三、御祖父母様、御両親様色々ト有難ウ御座居マシタ
四、謙二郎、てる子立派ニ役立ツ人間ニナッテ呉レ
 昭和十九年七月末日
   陸軍少尉 小野寺甲子郎
御両親様

小川睦郎は原町の野村家に宿泊していた。斎藤三郎、小野寺と同乗。ネグロスとマニラ間で消息絶つ。12月19日戦死。公報4日。

小川睦郎の遺書
 陽炎の如、泡沫の如く 極めて儚なき命を終始航空に捧げ得たるは 一生涯を通づる喜悦として満足に充ち満ちて天に還らんとす 憾むらくは透徹せる信念の下 起居せざりし事にして 平素煩悩の虜より脱し能わざりしは修養の遼遠を思はしめ返す返すも慚愧に堪へず溟然し乍ら 自ら心を苦しめ以て の道を志し 幾分なりとも近寄り得たるを確信するものなり
 昭和十九年六月十四日  
   在天        小川睦郎 印

「十一月六日早朝、原町駅を発って行った五十七期の航空兵は五名だった。」いのち
二十七戦隊に小山正少尉、四十五戦隊に斉藤三郎少尉、小野寺甲子郎少尉、小川陸郎少尉がそれぞれ配属が決定、赴任のため茨城県鉾田飛行場の本校に向った。
 原町より戦隊付を拝命された六名は十一月六日とび立ち比島クラーク飛行場に二十三日夕刻着、左の所属にわけられた。
 二十七戦隊 小山正、水田茂寿
 四十五戦隊 小野寺、斉藤、小川(浦田氏は生存)
その後四名は第三中隊付きとしてシライ飛行場に在任中現地編成の特攻を拝命、二番機にてマニラに向けてとびだち、途中墜落。
 一番機にて浦田氏は先にマニラに到着。二番機と集合の予定だったのに、ついに到着しなかったとのことである。