寛ちゃんは「西」の字好き

魚本亭主、山本寛太郎

魚本料亭主、山本寛太郎さんが、先に比島に征った人々へ何通かの手紙を書いて託した。そのうちの一通は、すでに比島でこの夏戦死なさったと聞いた、56期西島正雄中尉宛のものだった。
西島中尉は、一二度私の家に風呂を貰いに来た事があった。頭に畳んだ手ぬぐいをのせて、「寛太郎」と呼び捨てにして、私達を驚かせたのは西島さんだった。そして、それを嬉しそうに聞いていた魚本の店主「寛ちゃん」は、みるからにその豪快な人柄を愛していた様だった。奇妙な事に、次の57期の中でも、特に可愛がったのは同じ西のついた西山中尉だった。
ともあれ、戦死した人に手紙を書いて、海に投じてもらう様に頼んだと、少しまぶしそうに語った表情が目に浮かぶ。当時、私にはその心はわからなかった。大人なのに不思議な事をする人だと思って印象に残った。愛する人に思いを寄せるときは、たとえ、とどかぬ事とわかってもやらずにいられないこの悲しみ、これはやはり大人の心情でもある事をのちに私は知った。
久木元少尉はあの手紙も、私が頼んだ斎藤三郎少尉の手紙も、南海の青い海へ投じてくれたものと思う。先に散華した先輩、同期への心で語りかけながら、飛行機の窓から散らして行ったろうか。そして、西山少尉には「沖宏」と言う変名の手紙と、同封してあったという佳人の写真も共に投ぜられたはずだった。これは中野少尉の私宛の手紙に事情が語られている。若くロマンスも生れる暇もなかった57期生の中で、西山少尉にはかくれた青春の思い出があった様だ。幸せな一人だったと思う。
加藤美喜子「秋燕日記」p24

西嶋中尉と西山敬次

西山敬次西山敬次は布川家に下宿していた

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