勤皇隊 二瓶秀典

二瓶家の百年の道を主題とした河北新報の記事
 昭和四十三年一月廿日版
 陸軍少尉二瓶秀典が台湾の基地で走り書きした手紙がある。父の辰夫あての航空便で、消印の日付は19・12・5 。五銭の封緘はがきに、四十銭切手二枚とニ銭切手一枚。四十銭の図案は台湾のガランビ灯台。ニ銭の方は、秀典の「典」をもらったヒゲの乃木さんの肖像だ。
――――本十二月三日、台湾を離れ南へ行く。空輸間、降りた飛行場に於いては、特攻隊の名に於いても生神に対するようなもてなしを受け、唯々感激し、必ず轟沈との意気に燃えて居ります。私の飛行機は5号機ですから、映画にでも出たら武者振りを見てください。
 そして「戦地よりの手紙はつかぬかもしれません」と結んでいる。
 そのことば通り、それきり、手紙は着かなかった。代わりに、大本営発表があった。
 ―---大本営発表(昭和十九年十二月十日十五時)
 十二月五日スリガオ海峡、同七日オルモック及びレイテ湾の敵艦船に体当たりを敢行せる特別攻撃隊石腸隊、護国及び勤皇飛行隊員、次の如し。

 秀典ちょうどはたちだった。
 若かった。しかも、トシよりも若く見えたそうである。新聞は、出発直前の秀典を、次のように描写する。
 ー--若々しかった。山本隊長と同じ二十一歳(かぞえどし)であったが、隊付といふ任務の軽さが、少尉を子供らしく見えさせたのかも知れぬ。
――――「こんな盛大な見送りをいただいて、恥しいですよ」といって日焼けした童顔を、いかにも恥しさうにほころばせた少尉の顔。
 台湾の基地をとび立った朝、姉があがったばかりだった。全員、バスで飛行場へ。部隊長に進発の申告。部隊長は壇を降り、ただ一言「立派にやってくれ。性交を祈る」といった。
一機、また一機。離陸の爆音が基地を圧した。ゆっくり旋回しながら編隊を組んだ。
と、その空に、大きく虹がかかったそうである。