昭和18年の小高町岡田地区の山に墜落した二人の航空兵が殉職。「雲雀が原飛行場の整備班」という本に、やっとつながった。同級生の二本松君のお姉さんさんからの情報。

青田恵子さんからの手紙 2015

祖母のことにふれますと、原町飛行場の兵隊さんか? おせわした時の兵隊さんのお礼のハガキ、手紙が数通、お仏壇の引き出しに入っていました。
どれも感謝の言葉がつづられていました。岡田の山に殉職された兵士の慰霊碑も小さい頃、きのこ採りに行きがてら連れて行かれたことがあり、こんな近くにも戦争遺跡がありました。食糧難の時代、家に泊めて精一杯のもてなしをしたことが、手紙の内容から察せられました。写真も見たことあり。
そうそう、今思いだしましたが、慰霊碑には連れて行かれた時の祖父の話、殉職した兵士の足がちぎれてあっちの方向に飛んでいた等と説明していたので、きっと現場に立ち合っていたのでしょう。
夫は原町出身。青田恵子さんは小高町出身。夫は大津地裁の高浜原発を止める原告団29人の一人。

昭和18年の一周忌の昭和19年には航空士官学校57期の学生たちが、事故現場に追悼式を行った。現場の近くの小高町の篤農家の二本松家では、この航空兵全員を招待してもてなした。この時の、57期出席者の記念の巻紙が二本松家に残されている。2015の「原町飛行場と戦争」特別展示で、南相馬市博物館で初公開した。

二本松家蔵 昭和19年一周忌 57期全員による揮毫の巻紙