原町飛行場整備員 第一期募集雇員

私が初めて出会ったのは青田信一という気象班員で第一期の募集に応募したという。初めてダイエー原町店で「原町昭和史」シリーズという写真展を開催して、村井という鹿島町の人物と逢った。
そのご、原町飛行場関係戦没者慰霊祭という士官学校の関係者の慰霊祭を中心にイベントが行われて、私は軍国エリート称賛の流れとは距離を以て、庶民の戦災史を中心に取材しつづけてきた。
戦争は、軍人だけではできない。社会全体をまきこみ、国家総動員の生死にまで国家が口を出し、多大な影響を及ぼした。
民間の活力から「軍属」という有能な技術と、若い世代の霊肉を搾り取って、やがて捨てた。原町飛行場は、中国戦争と、連合軍との戦争のために作られ、稼働し、最期には徹底的に空襲によって破壊され、占領された。わずか6年間。

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