特別幹部候補生の日記
 昭和17年4月七尾農校に入学、19年3月同校中退し、4月特別幹部候補生として陸軍航空通信学校・長岡教育隊ぬ入隊、同年12月卒業した。所属は第四中隊「通称 吉野隊」無線通信飛行兵であり、転属先は第十三航空通信連隊であった。昭和20年1月鉾田教導飛行師団・原町飛行隊に派遣され、戦死を遂げた。
 昭和18年7月から20年8月までの2年間、国策に沿った生涯を純粋に全うした本人の生き様を綴ったこの日記は、時代の変遷を経ても、何人にもいかんせん何かを訴え、語りかけるものがある。(弟・義友手記)
第一章 修養中日記・渡満行途の諸風景~七尾農校在籍
第二章 修養録 巻一「特別幹部候補生・長岡教育隊」
第三章 修養録 巻二「吉野隊・三区隊」
第四章 第四中隊(吉野隊)飛行兵=無線通信
 の全編のうち、原町赴任の命令以降を転載する。

昭和20年1月14日(日)晴
 本日、突然展開命令が達せられ、内務班は一様の活気に包まれた。自分も其の一人として原ノ町に展開する事となり、身自ら引き締まるを感じた。
 明朝早々の出発なる為、環境の整理に忙しい。整理終わって見るに軍人は気軽だ。再び此の営舎に帰ってこないというのに唯少し計りの私物をまとめて、入校以来御世話になった幹部の方々にと戦友に簡単な挨拶をして明朝には、東に西に別れて行くのだ。若し地方人が此れを見たとしたならば、「何と淋しい別離ではないか」と言うであろうが、而し此れに軍人の磊落さと謂うか、何時如何なる時にでも命令に即応できると言う処の軍人間だけの情が流れて居るのであると信じる。展開したならば入校以来勉学した全能力を発揮して、任務に邁進せんと思う。

1月15日(月)晴
 日朝点呼も緊張の中に終えて、朝食も戦友と最後の会食となりて、十分の別れを告げて教育隊を出発した。12月以来の希望は達せられて無事に展開地に到着す。展開地に来て、先に展開した戦友達の出迎えを受けて一層張切り、新任地に戦友と共に不利不便を克服して精出さんと決した。

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