窪田寛 陸士56

大正12.2.16. 埼玉県川越市
満州牡丹江第32軍気付第272部隊
飛行第6戦隊(中支派遣軍隼9102部隊)
昭和20年5月12日 江蘇省准陰附近で戦死
辞世 任のまま日々を新たに 雲はるか けふの限りの 翼すすめん

窪田寛 手紙

先般、東・森本・南沢の連中が○○で内地へ行きました。緩降下でじわりじわりとやって居った様ですが、元気であります。
山之上は「うつし」病院(兎ちゃん)の対称児童から立派な書初めが来たので目を細くして居ります。加ふるに中村高女の多くより絵や文をもらって見せびらかして居ります。
見習い士官と営内に起居しながら原町然です。
所で私は浪江の御寺から家を挙げて熱烈な応援文を毎週一回~二回位受領して居ります。原ノ町へは今一度と言ふ気もします。飯村や武藤の追悼文を完了しました。その内家の人に贈る予定です。
原釜(海水浴場)は先般大火に会ひ、山手を除いて全焼です。原ノ町飛技では機を失せず見舞いとのこと。私達もなんかしてやりたいと思ひます。
今村中尉殿 今村了 パルピン725部隊副官宛」

窪田寛 手紙 浪江町大聖寺 青田沃どの

一月八日陸軍始めの日の御手紙有難く拝見致しました。沃君もほんとうに少ない冬休暇ですね。決戦下一日も早く立派な日本人にと言ふ先生の親心でせうがんばってください。
正月は暁雲を衝いて初飛行です。機上から遥か朝陽を拝して今頃は御雑煮でも食べて居るならんと想像しました。公務に追はれ懸命に努力して居りますが官舎に帰って一人身となれば思ひ出すはやはり原町時代で君と同じ様に「アルバム」開いては「やれやれ」と戦友と話に花を咲かせて居ります。
満州も良い処があるのですよ。一寸寒いですが、私の所へ御出でになりませんか。「きじ」が沢山居りますから空気銃でうんと取れますよ。
先日など例の御寺でやったやうに低くやったら「きじ」が驚いて飛び立ち翼に頭をぶっつけて脳震盪を起しふらふらとおちて行きました。早速即ひろって「きじ」のスキヤキです。

牡丹江なんてバンとして居るのですよ。料理でも映画でも立派です。でも遥か米大陸を望んで山上にボタ餅を食べた様なあんな味はどこにもありませんね。さめて居てもあんなあったかな味は浪江以外は一寸ないですからね。
今日の手紙明日の遺書です。公務以外毛頭他念ありません。
やがて散る姿も見せず桜花 力の限り咲き出でしかも
一日一日を力のかぎり力闘する覚悟であります。
積もりもせず相変わらず満州吹雪です。背嚢枕に外套をかぶれば又幾世橋請戸の夢を見ることでせう。
皆々様に宜しく。鮭の子に宜しく。 窪田寛
272部隊木村隊

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