藤井東吾
原ノ町の思い出。寒かった。とにかく一日中寒くて耐えられなかった。我々の部屋には冬の寒さ中というのに火の気は一切なかった。暖気といえば夜七時から九時頃迄ストーブに火が入る自習室。冬の飛行服に身を包んで操縦しているとき。あとは週に一、二回の街の風呂屋に集団で行ったときだけ。併しこの帰りはトラックの荷台に乗せられるので寒風で再び体の心まで冷えてしまい、兵舎に着くころはもとのもくあみで冷たい身体に戻っていた。この原ノ町飛行場は山に囲まれた盆地の故か非常に気流が悪く、一式双発高等練習機(キー54)での編隊飛行訓練には苦労したことが思い出される。併し地上に居るときの寒さから逃れられると思えばいくらエアポケットでゆすぶられてもこの方がよほどましであり、且つ気分が休まると云うおかしな一時期であった。昭和十九年一月から四月頃迄この原ノ町の生活は、ただ「寒苦」に一言につきる。十日に一回支給されるマンジュウ一個が待ち遠しかった。
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