近藤諭整備員
高平出身の近藤さんは、地元採用で飛行場の整備軍属として雇われ、最期の特攻隊「国華隊」の機付整備を担当した。
※初めての飛行の時 飛行服は整備員全員に支給される
2018年は、終戦記念日にあたって放送された原町飛行場関係の仙台のTBC番組で、原町特攻隊の機付の元整備士の近藤諭さんが出演していたのを見た。原町飛行場の主要な兵器である99式襲撃機の仕様や設計図のコピーなどを送ってくれていた。千葉のオートバイ屋さんを経営している人物だ。2014年から2015年にかけて何度か電話で取材していたので、自営の店の様子が背景に映っていて、いい記念になった。彼が担当したのは国華隊の隊員であり、16歳か17歳くらいの若年の整備士は、自分が整備する機体に乗る特攻兵は、神にも等しい。その信奉を綴った日記を大切に持っている、という述懐を撮影した様子であった。乙女たちも恋する心情を90歳の今になるまでずっと心に温めてきたように、男の純情も同じである。新関整備員は園田というパイロットの担当をした。新妻整備士は勤皇隊の増田良治パイロットの担当だった。みな命のかかった機体を介して、信頼というデリケートな精神で結ばれている。そこに、国家が権威をかけて神がかり的な道徳をかぶせるのだ。純情少年たちは、具体的個別的な関係の中で、パイロットは神になっている。国のために定められた運命として「神になる」パイロットは、すでに訓練している時期に既にまぶしい「神」であり、信奉者の整備員の自分が、神のことを後世のわれわれに伝える役目を引き受けたときに、「あんたにはわからぬだろうが」と語らぬうちに揮発してしまう心中の想いつまり発語されぬまま、ことば以前で息のなかでのみ前置きをしたうえで彼らの神についての、その爽やかさ、やさしさ、莞爾と決意を、やはり語るのだ。新関さんが「わたしごとき整備の者」に声をかけてくれた、といって恐縮していたが、昨年のうちに鬼籍に入られたのは、ほかの同期の整備士もいた。
佐々木充さんも亡くなられていた。新関さんへの電話には、奥様から訃報を聞かされた。
南相馬市博物館の「原町飛行場と戦争」は、かくして最初で最後の企画展示となったのである。
双襲と呼ばれた二式双発戦闘機「屠竜」と整備兵