追はれる部落民

雲雀ヶ原の七十七戸 太田村長に苦衷を訴ふ

相馬郡石神村地内雲雀ヶ原の一部が将来重要国策地として収用を見ることとなり此の区域内には大字馬場及び南大木戸の両部落中七十七戸の全農家が他に移転せねばならぬ運命におかれることになったので地元村当局は固より県当局でも之れが善後策に乗出し旧蠟中県経済更生課より成島技師等来村如上の部落民と会し満州入植につき慫踊懇談するところあったが遺憾ながら一人の希望者もなく当局の苦心は徒らに水泡に帰してしまったのであった、然るに同部落民の大半は小作農家であるが他に移転するとしても今だに適当の換地を見出し得ず移転期限の逼迫を前にして身辺整理にいづれも焦燥懊悩してゐたが十五日午前十時同地部落民代表古小高五郎、林崎右馬治氏等外数名が突如石神村役場を訪問、村長太田秋之助氏に対し長文の陳情書を提出し善後策考慮方を要求して来たので太田村長は取りあえずこれを受理し慎重その内容を検討したる上何分の回答を為すことを約して別れたるがその陳情書の内容を要約すればおよそ左の如きものといふ

吾等の部落に対し他への移転問題が台頭するに及んで俄然附近の地価が暴騰しそれに諸物価、雇人料等も上騰し搗っし人夫払底で我等は移転先に迷ってゐる我等は元来無資力の小作又は小自作者なれば過去永い間農村不況に祟られてまったく疲弊の極に達してゐる、最近漸く好況に向って来たと思ったら此の土地を立退かねばならぬ、然るにその土地買上補償料では一家の生計はおろか他の既墾地を求めることも出来ぬ、況してや未墾地に移住して数年間の無収入時代をどうして過すことが出来やうぞ、茲に連名一同は途方に暮れてゐる、此際何分のご同情を賜はり我等の嘆願理由を諒としていただきたい(要旨摘録在文責記者)

一月十五日 七十七名連署

相馬郡石神村長宛

昭和15年1月18日民報

 

注。記者は民報原町支局佐藤一水、安治と思われる。一部誤字を訂正した。

 

石神村より

相馬郡石神村大木戸地内に重要国策地設定のため同部落農家八十四戸が他に移転の已むなきに至りすでに六十戸の移住先が策定せし旨を報じたがその後に至り続々候補地を選定、早きはすでに立退きを開始した向もあり遅くも今月中には大半移転し得る情勢となり村当局も漸く愁眉を開くに至った、その移住先は大凡そ左のやうである

△村田大木戸部落へ七十二戸、原町四戸、太田村三戸、小高町一戸、計八十四戸

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右の要立退地内を貫通してゐた県道原町ー椚平線が国道の分岐点を付替へ約三キロを新設することになり、石神村がこれが浩二を請負ひ三月末日までに醸成せしむることとなったが同村では二日午後一時大木戸字松島地内の現状で起工式を行ひ午後原町魚本で直会執行

 

昭和15年3月5日民報

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