地元出身で原町飛行場の気象班員だった第一期軍属の青田信一氏は、次々に原町飛行場に到着する若い兵士たちの姿をその手記に書きとどめている。「特操第一期生の思い出」から引用する。
 昭和十八年の晩秋、鉾田校への入校生の間隙を見て、第一滑空飛行戦隊(西つくば東部一七七部隊)が編成された。入隊した学徒兵は特別操縦見習士官第一期生と称し、その数三十数名、彼等が学生航空連盟において保持した飛行時間は僅か数時間であった。彼等は、飛行兵にしては珍しく、背負い袋を斜めに肩にかけ、九四式軍刀にゲートル姿で、金星に銀の翼の特操襟章も凛々しく准尉さんに引率されて到着した。聞けば原ノ町駅より行軍して来たとの事、日ごろ乗用車やトラックで用を足す飛行兵が、隊列を整えて行軍して来たのでは原町町民もさぞ驚き若し、また頼もしく思ったことであろう。列中声あり、「代用食器一組、割れました」と報告した見習士官があった。明日は将校となるエリートも、セトモノの食器携行では何か気分がそぐわないだろうと、兵舎の窓から眺めていた。
 気象班は協力態勢で、鉾田校の学生舎と滑空戦隊の中間に位置していた。隣室は戦隊医務室で老軍医と衛生兵三名がおり、毎日兵隊は気象班に来て遊んでいた。

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