スーパーJチャンネルのスタッフのみなさま
新年あけましておめでとうございます
向寒の候、貴社益々のご清祥のこととお慶び申し上げます。
小生は、南相馬市歴史専門調査員を拝命しているものですが、このたび貴社の1月8日の番組を拝見いたしまして気がついたことがございますので、一言感想を申し上げます。
夕方のワイドショーの中で、レポーターが県下の町を「ぶらり」と訪問するという内容で、たまたま偶然に出会った住民から、その町の名所を推薦してもらって、シナリオ無しで次々と訪ねてゆく、という自由な印象に満ちた番組でした。
レポーターは、自由気ままに歩いて、その町の魅力の一端を視聴者とともに眺めては、共感を以て福島県のすばらしさを再発見しようという企画のように見受けられました。お役所や学校の授業や講演のような一方的な授業のようなお仕着せでない内容が、好ましく感じられました。
ちょうどレポーターは、南相馬市博物館の庭にある旧磐城無線電信所送信アンテナ主柱の原町無線塔コンクリートタワーの産業遺物で頂上部分にあった金属部分をライオンズクラブ20周年の記念碑にしたものの前で、この記念碑の由来を解説するという形で次のような内容を語っておられました。
「大正12年に関東大震災が起きた時に、二年前に建設された原町無線塔は当時、世界とつながる唯一の国際無線施設だったため、首都圏の大災害のニュースをいち早くアメリカへ知らせた活躍をした」というふうなお話でした。
貴社が地方の名所名物を紹介しながら、地域の人々が誇りとする町のシンボルとして紹介し見せてくださる、わかりやすい番組を企画して下さることは、まことにすばらしい機会であると思い、大変高く評価いたしております。
ところが、絶大なる影響力を発揮する公共電波発信の権能を持って居られます記者が、せっかく地域の魅力と誇りを伝えながら、誤った歴史的事実を世間にばら撒いておられるとしたら、どうでしょうか。
大正12年当時には、すでに海軍船橋無線電信局が欧州大戦でドイツに戦勝して鹵獲したテレフンケン社の国際無線施設を建設しておりました。
第一次欧州大戦の直後に、世界平和を目指して次の世界大戦を防ぐために、国際社会は列強をはじめとして軍縮の傾向にあり、各国の軍備を減らそうという名目で、ワシントン条約で日本の軍艦保有率を英米に対して極度に縮小を迫っておりました。
すでに外務省と逓信省は、激しく国際外交の場で日本の軍備を縮減しようという英米諸国と対峙して、秘密暗号通信等で外交の水面下の戦いを繰り広げておりました。
そのための道具が、船橋海軍無線局でしたが、独自の勢力を保持する海軍が国際無線を独占している状態のため、逓信省が独自の国際無線施設を渇望するに至りついにもう一つの国際無線局として国家予算を傾注して磐城無線局を福島県下の富岡と原町に、受信所と送信タワーを建設するにいたったというわけです。そういうわけで、大正12年には日本には二つの国際無線がありましたので、原町が唯一ではありません。
しかも、原町がアメリカへ打電して首都救済に世界各国が薬品、食料、毛布、衣料などの救済物資を多くの船舶に満載して、首都百万の被災市民を救助しました。
一方、船橋海軍無線局は、「朝鮮人暴徒が襲来。われは寡兵なり。救援頼む」というパニックに襲われて、妄想と虚偽のニュースを打電しつづく、全国で無辜の朝鮮人が自警団に虐殺された震源の電波をまき散らしたため、のちに軍法会議にかけられて処罰された。
番組スタッフのみなさまには、細心の注意を払って地元の郷土史にも心を配って、正確な情報を確認されますように、きちんと調査されたうえでレポーターの一言半句のセリフまでチェックされますようにおすすめいたします。
なお、「原町無線塔物語」と「巨大無線塔が消える」「原町無線塔六十年史写真集」の3冊が県内から出版されております。お知らせいたします。
末筆ながら、貴社益々のご繁栄を御祈りもうしあげます。
2020年1月10日
南相馬市歴史専門調査員 二上英朗
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