鳩ケ谷日本放送協会第二ラジオ局のアンテナは、原町の日本の200m副柱という五本のうちの日本が、鳩ケ谷に移送されてできた教育番組放送を首都圏に発信する放送し瀬tの必要不可欠な道具となて、戦後まで国民の蒙昧を開き、国民の一般的体力と健康を増進すべく大活躍したのであった。それは、福祉と幸福をもたらす目的によって、事実、その効果は絶大なものがあった。
まっしぐらに「原町無線塔物語」に若干二十歳ちょっとの私は、こう書いて筆を擱いたのだ。

「原町無線塔が平和のために働いて、地震災害の被災者を救助するための道具としてだけ使役されて、せめて戦争に使われなかったことは幸いであった」と。
国際無線とは、この科学技術人類の福祉幸福のために使われるべきものである。それ」以外には、互いに相手をめつぼうさせるための戦争の第一の道具であった。これは、決してしてはならない、人類滅亡への道だけがある。

昔の逓信博物館が、大手町にあった。それが、今ではスカイツリーの下の建物にある。かつては郵便事業を司る国の役所は逓信省といった。原町無線塔が国際無線電信局という当時最新の無線施設であったので、基本的には郵便という封書やはがきを一地点から物理的に国内外の他所に運ぶ紙の通信手段も、電波という形のない通信で情報を伝える意味では同質であるために、同じ役所が司ったからである。
みなさんは、日本の一円切手が誰の肖像を描いて記念しているかを知っているだろうか。英国の郵便制度は世界に差異が桁すぐれた通信制度として理論的にも、実際的にも合理的有益であるため、世界の国々はみなこれに従って万国郵便連盟という国際組織も誕生し、さらに世界は便利になった。その一方で、欧州のハプスブルグ家が支配する彼らの血族は、姻戚関係を通して、悪意に満ち満ちた情熱によって、世界を自由に流通する郵便物を彼らが主催する郵便制度を私物化して、秘密に勝手に開封し、内容の情報を盗み見しては、金もうけの情報や、戦争情報を収集しては、これを各国を超えた友愛の制度を、悪の効率的な技術で、秘密裏に早く正確に入手する技術や方法を行使する卑怯な手段となって、莫大な利益となって彼等一族のふところに入った。
だからこそ、この分野では、各国海軍が巨大な富を投じて最新の海外通信の手段を入手しようと躍起になっていた。それが大正初期の世界の裏側の真実の姿であった。
日本においては、船橋海軍無線局が、まさにそれであった。この施設は世界平和を願い、世界の友愛を信じ、かつ実現する人類の福祉の道具ではなく、他国を滅ぼして自国だけが生き残って、さらに自国だけが繁栄するための道具であった。

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