収穫
作成: 二上 英朗 日時: 2011年10月24日 7:58 ·
NHKの原発事故に至る原子力開発の歴史を検証する特集番組が深夜、再放送されたので、二日にわたってつきあった。今頃「いまだから話すが」という、担当官僚たちの、自分の責任を安全地帯においたまま、歴史に事実を残すためと称して、毎月茶話会をしているそうだ。いまさらちゃんちゃらおかしいが、収穫はあった。
政治における原子力開発の経過については、新聞や本を読んでおればほとんどわかっている事実を、いまごろそれが深層だなどと解説されても、なにの意味もないが、さしはさんだ古いフィルムの中に、新発見があったのだ。
戦後、いちはやく米軍は、日本の理研から国産サイクロトロンを没収して破壊。原爆を作らせないためだった。
そのフィルムを撮影したものをGHQの資料から掘り出したなかに、なんと、わたしが追いかけてきたテーマに関わる、原町無線塔の国産発信機が出てきたのだ。
炭素電極に強力な電圧をかけて火花スパークを巨大なアンテナで放電させて遠距離の国際無線に使った代物だが、すぐに高周波発生器という発電機を通信機にしたものに改良されて、理化学研究所に供与された。
理研は仁科博士がひきいる日本の原子核物理研究のセンターで、戦争になって陸軍から原爆製造を命じられ、基礎研究のため、あの鉄の釜はサイクロトンとして使われたという噂は聞いていた。
わが町の無線塔の機械技手として働いた当時の職員の古老へのインタビューで、金属ボタンが全部電磁石にひっぱられて、その強力なことは聞いていたし、黒光りする鋳造の鉄釜の形状の写真は取材で入手し、なじみがあった。
それが、古いGHQの歴史的フィルムの中で再会した。
著書の中にも、数行紹介してはあるが、これだけで一冊の本が書けるほどのロマンをかきたてる。

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