昭和3年に建設竣工された五基の副柱鉄塔に架設されていたフラット・トップ型アンテナ線も、新たに名古屋近郊に作られた対欧長波通信所の故障の応急処置のために取り換え部品として取り外されたのをはじめ、五基の鉄塔もその後二基が鳩ケ谷のNHK第二放送局用の塔として、日本放送協会へ送られ、他の二基が台湾放送協会の民雄放送局用に、それぞれ取り外されて送られた。昭和十二年と十七年のことである。
 最後まで残った一本だけの鉄塔も、昭和十九年、金属回収のため陸軍へ供出された。
 局舎は、敷地、施設とともに原町に無償譲渡され競売された。局舎の一部材木などは原町役場の再生建材として利用されたが、昭和四十二年、貴重な郷土史資料やその他の重要公文書多数とともに炎上消失した。
「原町無線塔物語」p172

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