1月16日 19:58 ·
無線塔が開局したのが大正10年というのを○○の一つ憶えのようにしがみついてるから、なんでもかんでもキャプションに「大正10年」と書く学芸員がなんと多い事か。昭和2年のの無線塔アンテナの大改造工事で、18本の木柱が5本の鉄柱に交換されたのは大正14年から昭和3年までのあいだ。S学芸員が我が家にやってきて「無線塔の展示会をやりたいんですけど、なにか資料ないですかあ」と言うから、図書館に行って「原町無線塔物語」を読んでから来い、と返した。「ええ~、そんな本があるんですかあ。」そういう学芸員が西徹雄館長の時代にいた。
初歩の初歩も知らないで、よくも出版社の依頼に応ずるものだ。主従そろって、似た者だった。

1月16日 19:58 ·
無線塔が開局したのが大正10年というのを○○の一つ憶えのようにしがみついてるから、なんでもかんでもキャプションに「大正10年」と書く学芸員がなんと多い事か。左したの無線塔アンテナの大改造工事で、18本の木柱が5本の鉄柱に交換されたのは大正14年から昭和3年までのあいだ。S学芸員が我が家にやってきて「無線塔の展示会をやりたいんですけど、なにか資料ないですかあ」と言うから、「図書館に行って『原町無線塔物語』を読んでから来い、と返した。

田中 康治 「ええ~、そんな本があるんですかあ。」って、かなり残念な発言ですね。事前に蔵書、資料など調べなかったんですね。当時何歳くらいでどこの出身の学芸員の方だったのかわかりませんが、繰り返しますが残念です。と言いますか、そもそも二上さんに聞きに行くならば、その前に著書調べてから伺うのが、仕事の基本のような気もします。

二上
西徹雄元館長の時代のS女史ですが、母親を避難先の北海道に連れていったまま、母親がそこで倒れて介護に入り、原町には戻れませんでした。それはそれで気の毒ですが、間違いを指摘すると館長の指導で「自分たちが正しい」という公文書に館長の公印を押してあるから、民間のわたしより正確なのだという変な理屈で、絶対に博物館のキャプションも直さない。あきれた学芸員と館長でした。

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