土曜の夕方、電話が来た。東京の磯山さんからだ。

磯山秀さん。明治34年生まれ。いわき無線電信局原町送信所の職員の一人である。磯山さんは、東京出身。学校を卒業して後、事務官として昭和3年春、原町送信所へつとめて、足掛け3年、昭和5年春まで原町にいた。

「卒業まもなく、新婚の頃でした」

「当時、日本で最初に保健制度が施行されたのに伴い、その説明会を朝日座という映画館でやったのをおぼえております。私は法科の卒業ですから、技術的なことはわかりませんが、それまで事務的な仕事の専門家は必要なかったのでしょうね」

「週に一度、仙台まで出かけて、映画を見たり、洋食を食べたりするのが楽しみでね」

「英語の講習なんかもやったりしましたよ」

「駅前の中野屋という旅館の近くに観月堂とかいう菓子屋があってねえ、それから満州屋自動車、それから名前は忘れてしまったが、なんとかいう本屋があった。遠州屋? そう。そんな名前だったかな。それから金物屋があった。あれはなんといったかな。猪狩屋という菓子屋があった。え、いまもある? ほう。そうですか。それからあれは、猪股という医者・・・まだありますか。そうですか。そんなところを覚えてます」

 

酒井貞雄さんの話

もう一人の事務官で、酒井貞雄さんというかたがおられる。以下は、同氏からのはがきである。

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