無線塔秘話
塔を見に降りて来た米軍機

大甕村堤谷の白石孝治さんは、進駐軍の記憶を語る。
「終戦から半年で卒業ということになったが職のあてもなく二十一年から、無線塔の真下にあった蚕糸試験場に講習生として住んでいたことがあります。
当時農家の集落がちょっとあるだけで、桑畑や田んぼに囲まれた静かなところでした。
でも目の前にそびえる無線塔はまだ戦禍の痕を生々しく塔の中央にポッカりと大きな穴をあけていたり、当の回りには命中しなかった爆弾のすり鉢状の大きな穴がいくつも残っておりました・終戦直後の食料の少ないひどいときでしたので、仲間とその穴に入って飯盒で飯を炊いたり、近くの畑から失敬してきた薯など、かくれるように腹ごしらえをしたことなど思い出されます。無線塔も管理がとうじどうなっていたのか、カギも壊されて居て、自由に誰でも出入りしていました。度胸のあるものは頂上までのぼりきったようですが、私は一段目で降参。あの、火の見櫓についているような細い鉄梯子が垂直に、というより、下から見上げると被さってくるように見えて、登る前から溜息をしながらようやく決心したひど。
米軍機も無線塔が気になるのか、あそこを通過する時はよく旋回して見てました。
一度、二人乗りの米軍機が低空飛行しているなあと思ったら、渋佐から桜井の方に向かって田圃の中の一本道に降りてしまった。おそるおそる近寄ってみたものの、誰も話にならない。向うは大きなゼスチャーで早口にしゃべるだけ。村人から警察まで集まって無線塔までどうにか案内できたようでした。その間、機体は路上にポイっと置いたまま。当時の交通事情がわかるような気がします。帰りはセスナ機の尾っぽをヒョイと持ち上げ、くるっと飛行機をまわし、簡単に渋佐の方へ飛んで行ってしまった。今おもえば吾々がドライブに行ったときに道路の脇に車を停めて気軽に滝でも見物するような感覚だったのだろうと思います」

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