◇◇巨大無線塔が消える◇◇
はじめに
大正十年、福島県原町に巨大なコンクリート塔が出現した。対米磐城無線電信曲原町送信所のアンテナ主塔である。当時の日本政府が渇望する国際無線局の施設の一部として建設されたのであった。というのも、日露戦争後とみに活発になった列強の外交戦略のなかで、独り日本だけが情報戦争に遅れをとることを憂いて、国家が総力を挙げて取り組んだ事業であった。
工事は昼夜兼行で強行され、日韓併合後に日本に流入してきた多く野朝鮮人労働者なども投入された。
超高層という建設はこの当時他に例を見ない。建設と改修では数人の犠牲者さえ出している。
その業務は、先に完成した磐城無線局富岡受信所に中枢があり、主に商業と外交の通信を取り扱った。大正十二年九月一日の関東大震災では、ここからアメリカへ向けて第一報が打電された。その電波は原町無線塔が支える直径1キロにわたる傘型アンテナから発射されたのである。
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