いてつくような白い月が東の空に昇り始めた時間に、まぼろしのような光のモニュメントが実現した311の夜に、ぼくらの心によみがえっていたのは、このような見あげる巨塔の実像でした。
それは甘づっぱい思春期の、中学時代から肉感的なほど強烈な
個人的な、そして不思議な、神の創造した宇宙に挑む人間の営為が
ぼくらに空間のちっぽけさを思い知らせる、神の教材か玩具のような
南相馬原町の昼の「太陽の塔」であり、夜の「月の神殿」でした。
撮影:加藤昇太
大正12年の関東大震災発生はこの200メートル強のタワーから世界に発信された。あの時代にこんな強固な建造物を作り上げた先人、僕たちの中学校はこの塔のそばにあり毎日見上げていた。確か社内さんという教師は「無電塔の下の子ら」との本を書いたという話を聞いた。僕がこの写真を撮影したのは中3か高1の頃だったはずだ。
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