一枚の写真がいかに雄弁に一時代の歴史を物語るか。無線塔が一段目まで出来たところで 塔をバックに関係者一同が並んでパチリ。着工の年、つまり大正8年のおしつまった暮れ か、翌9年の新春であろう。分厚い外套に身をつつんだ高官らしき人物や郷土の町会議員 たちなどが写真におさまっている。真ん中には火鉢が置いてある。ああ、生き残っている 人やあらん。この冬もたしかに寒かったのである。後方の飯場には便所らしい小部屋がく っついている。御本陣の山の形だけが変わらない。飯を食い、排泄し、冬には暖をとらね ばならぬ人が生きることの切なさを感じさせる写真だ。それでもなお60年ちかくの年月 写真の中の人々は無言のまま私たちの時代の光を待ち続けていたようである。彼らのはと んどは既に死んでしまった筈の人びとであるけれども。死に果てたその先に、なお印画紙 の彼方で彼らはカメラのファインダーをみつめたままだ。永遠に・・・
大正8年、1919年の顔がそこにある、科学技術文明がもたらす人類の福祉をどこまで も疑わぬ真剣な表情だ。われらの世界をとりまく終末戦争勃発の危機も全地球的規模の公 害のおそれも彼らにはない。あるのは高層鉄筋コンクリート建造物に代表される最新技術 に絶大の自信を得た特微的な大正時代の自由主義と理想主義的傾向ばかりだ。前途は未知 で未開拓で彼らはその創始者であった。
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